VNI鈴凛 過去ログ 04/12/01-05/01/06

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2005/01/06 システム工学
2005/01/04 日はまた沈む
2005/01/01 新年快楽
2004/12/31 遠い国から落ちてくる♪
2004/12/28 このごろの天気は無軌道なるが……
2004/12/24 「クリスマスまでには終わる」
2004/12/23 世界一周時差一周
2004/12/18 ゼロまたは2以上
2004/12/15 これは戦争を意味する
2004/12/13 煌く星座
2004/12/11 新しい発火センをもって……
2004/12/10 マリコは病気だ
2004/12/09 日本は年末に対米開戦するだろう
2004/12/07 リアルタイムで起きている
2004/12/06 150グラムをとり返せ!
2004/12/04 タス、全権を委任されて発表……
2004/12/03 冬の十七の瞬間
2004/12/01 アンカー走る

ニュースクリップ

(12/18 09:20更新)
★アメリカで人気の鎮痛剤「CELEBREX」に心臓病惹き起こす危険、臨床治験を中止。発売元のファイザー社は回収する必要はないと主張。「VIOXX」のリコールに引き続き米医薬界衝撃。【米ABC / NHK BS】
(11/24 09:50更新)
★米CBSテレビのアンカー、ダン・ラザー氏が来年3月末で番組を降板すると発表。長年にわたり米CBSニュース番組の看板アンカーマンを務めた【ABC】


2005/01/06 システム工学

桑谷:(松来)未祐ちゃん、自分の体力のこと「ヒットポイント」って言うんだ?
松来:ひどい(笑)。「最近経験値がさあ」とかって……言わないよ!(笑)
(「Radio TLSS」2003年10月30日放送分あたりの挨拶)


5歳児が新幹線「ひとり旅」、長野から東京 不明騒ぎも 【朝日】
 長野県小諸市の会社員(28)の長男(5)が3日午後3時ごろ、同県佐久市のスーパー「ジャスコ佐久平店」で行方不明になり、4日未明、東京都内で警視庁原宿署に無事保護された。だが、男児の身元は同日正午ごろまで判明せず、長野県内では県警など240人態勢の捜索が続いた。
 県警などの調べでは、男児はスーパーに一緒に来ていた祖母(59)に注意された後、行方が分からなくなった。長野新幹線や地下鉄を乗り継いで200キロ近くを「ひとり旅」し、都営地下鉄大江戸線に1人で乗っているのを不審に思った乗客が、4日午前0時ごろ新宿駅員に通報して、保護された。
 男児は保護された直後は、下の名前しか言わなかったが、4日正午ごろになって名字や「小諸市」などを話し始め、身元が分かった。 (01/04 21:00)

 「子どもに無関心な社会」というのか、午前0時にならなくたって5歳児が夜地下鉄に一人で乗っていれば不審に思いそうな気もしますが、実際は「関わり合いになると損」というのが根付いているために、気づかないんでしょうね。
 長野新幹線からの乗り継ぎだって、というよりもどうしてチケット買って乗れたのか、うまく紛れ込んでしまったのか、そこも不思議ですが、子どもは大人の予想以上に知恵が働くものです。このケースでも、身元を言いたがらなかったなんていうと、かなりの知能がうかがえます。
 誘拐事件の合間の「ほのぼの」話題として見るなら、それはそれで「良かった」の一言で済ませられますが、はたしてシステムに問題がなかったのかどうかとなると別問題です。
 長野県警が200人を超える態勢を敷いたのは、何らかの事件に巻き込まれた最悪のケースを想定してのことでしょうが、こういう場合に早期に都道府県間の移動を押さえるのはイロハのイです。地元でやってしまう、ある意味「扱いやすい」犯罪者ならいいですが、計画的犯行であれば他県から来て他県に連れ去ってしまう可能性も考えなければなりません。
 そうすると、「行方不明事件発生!」と同時に、考えられる移動手段について封鎖する、空港や駅ターミナルに捜査員を置く、主要幹線道路や高速道路は検問をする、そういった対策を早期に講じないと、遠く離れた場所に連れ去られる事態に対処できません。
 日本のパスポートでは、かつての「併記せる子」の制度が廃止されていますから、そうやすやすと国外に連れ出すことはできないと考えられますが、全国的な騒ぎになる前に遠くに移されてしまうと捜査が難航するのは目に見えています。
 今回の「事件」にしても、「束の間のムラの話題」なら結構ですが、「もし」連れまわした大人がいたらどうなるのか、「もし」フラフラ歩いているところを二次災害的に誘拐されたらどうなったのか、そういう「最悪の事態」を想定せず、何も検証せずにいられるとすれば、それはそれでオメデタイということになるでしょう。
 それにしても、「何はともあれ、よかったよかった」の反応と、「自己責任だ!」のバッシングの分かれ目は、いったいどのあたりにあるのか、霞んでしまってよく見えません。


被災地へのツアー客9割キャンセル 国内旅行大手まとめ 【朝日】
 こういうときに、ここぞとばかりに外務省を叩くのはどうかと思うところもあるわけですが、それにしても、現時点で被災地域に対して日本外務省が何の注意情報(海外安全情報)も出していないのは、ちょっと不可解です。
 確かに、津波災害はすでに過ぎ去っており、今後飲料水からの感染症のおそれをのぞけば、爆弾テロが起きているわけでも、無政府状態になっているわけでもありませんから、「危険である」とは言えないかもしれません。しかし、当該地域の日本大使館・領事館が、行方不明になった日本人の安否確認に追われていること、現地政府も対策で手一杯であること、また観光インフラがことごとく破壊されていること、さらにはそういった被災地域に物見遊山で行ってしまった場合の現地住民の感情、そういった問題を考えると、「渡航の是非検討」(「渡航の是非を検討して下さい。」)ぐらいの安全情報は出してもいいのではないかと思います。
 かつては、「観光旅行自粛」(物覚えの悪い政治屋さんがいまだに「渡航自粛」などと言いますが、その当時の区切りです)が出ると、大手旅行会社の主催ツアーは自動的にキャンセルになるようになっていましたが、この制度は廃止されていて、旅行会社と旅行者自身の判断に委ねるようになっています。
 だからこそ、ツアーの形を取らない個人旅行であっても、旅行者自身が「やめておこう」と判断してキャンセルするのは的を射ています。このこと自体は、皆さんきちんと判断されていると評価してよいでしょう。しかし、それだけの「ムラのトピックス」扱いだけでいいのかどうか、システムとして検証する必要はないのか、この点が極めて不明確です。
 いざとなると錦の御旗のように「外務省の安全情報を無視して」と言って回りたがる向きがあるようですが、その割には今回の津波後の事態に対して、安全情報として何の手当てもしていないのは気にかかります。
 確かに「観光頼み」の現地にとっては、「観光に来てもらうことが復興につながる」側面はあるでしょう。しかし、同じことはエジプト・ルクソールの銃撃テロ事件でもありました。エジプトの過激派グループが、日本人の新婚旅行を含む旅行客を銃撃した陰惨な事件でしたが、これによってエジプトの観光業が大打撃を受けたのは、まさに過激派グループの目論見(テロによって観光収入を激減させる)どおりでした。
 それでも、現地の願いとは関係なく、銃撃テロがあれば安全情報は引き上げなければならないのは当たり前のことです。つまり、現地の復興につながるかどうかは、日本の外務省が「日本人を守るため」に出す安全情報としては、知ったことではないはずです。ここを「情」に左右されて混同すべきではありません。

2005/01/04 日はまた沈む

 切腹シーン見ながら焼肉食うなよ!(笑)(昨年の大河ドラマ年末座談会あたりの挨拶)

 米ABCは、スマトラ地震津波災害に重点を置いて報道を続けています。また、フランス・F2ニュースは、EU各地で広がる支援の手を伝えています。
 日本時間元日の夜、衛星中継でウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを見ていましたが、今回の地震津波についてお見舞いと援助の申し出をしていました。その上で、「今年は『ラデツキー行進曲』は取りやめにします」とも言っていました。
 このあたり、草の根レベルというか、自然な振る舞いとして支援ができる欧米と、どうしても一段「構えた」形が見えてしまう日本との格差を感じずにはいられません。
 たとえてみれば、多くの日本人にとって、ナイフとフォークの扱いは、まったくできないことはないけれど、フォーマルな場所に出ると、どうも肩が凝る、そしてそれがまるわかりになってしまうのと似ています。決して身に付ける努力をしていないわけではないのだけれど、やはり自然な動作というところまでは行かないのが、見ているほうにも分かってしまうわけです。
 その上、日本の風潮は変な方向に向かって一直線、奈落の底まで突っ走る最中ではないかと思わされます。
 犠牲者の家族に、「まだよかったと思わなければならない」と言わせてしまうのは、いったい何なのでしょうか。天災の前に非業の死をとげた場合であっても、悲嘆にくれる言葉を言うと、「好き好んで遊びに行ってた癖に」と批判されかねないからではないか、と勘ぐってしまうのです。この「時代の空気」というのは、何者なのでしょうか。「自由」や「遊び」を一段下に見る、エセ右翼の宣伝活動がすでに定着してしまっているのでしょうか。
 十万人を超える人の人命が失われたという惨事の前に、何かしたいと思うのも、再発防止策を考えるのも、まことに結構なことですが、そこで個人としての感情を圧殺したままで「日の丸」を背負ってしまうと、著しく不穏な動きになります。最初に、個人として生命と向き合うこと、その喪失を哀しみ悼むこと、そこから出発しない限り、本来の人道支援などできないはずです。
 今回は人気の観光地ということで、身近に感じやすいはずです(ちょうど1年前のイラン・バム地震など、感覚としては知られてもいない危険があります)。それなのに、あくまでもどこか「あの下」という視点で見るとしたら、この国の島国根性は腐敗しきっていて、もはや取り返しのつかないところまで来ていると言わなければなりません。
 個人としての対峙を避ければ、それは楽です。「大変ねえ」とテレビ映像を、ドラマと同じように見て、旗を立てた支援に適当に賛意を表明しておけば済みます。しかし、そこには「他人事」としか考えられない思考の欠落がつきまといます。
 よく「インド洋に津波警報システムがなかった、地震の揺れを感じても津波の恐怖と結び付けなかった」と言いますが、事実としてはそうであっても、その中に「日本と違って」というクレジットが混ざってないかどうか、よくよく考える必要があるでしょう。「途上国はこれだから」「日本はその点安心」と言って済ませるとしたら、その“井の中の蛙根性”につけるクスリはないでしょうし、奥尻の津波災害も忘れた痴呆症というべきでしょう。

 感情を外して戦略的に考えれば、この広い地域が抱えている貧困という問題について、さらに追い討ちをかけてしまったこの災害をどうにかしないと、いつ暴発するか分からないという問題があります。伝染病の征圧は国際社会の急務ですが、それが一通り終わった後、社会基盤(本来の意味のインフラ)が破壊されている状況をどうするか、その手当てを間違えば、大規模な社会不安を招くおそれがあります。
 貧困の撲滅から目をそらしたままで「テロとの戦い」を呼号するのはお気楽でしょうが、根本治療にはなりません。
 今回被災した地域は、けっして「安定した」地域とはいえません。経済的にこれ以上困窮すれば、いちかばちかの暴力に追いやる危険があることは、十分認識しておかなければなりません。急性の症状に対処するのは、見た目分かりやすいだけに誰でも賛成しますが、中長期的な建て直し、本来の復興に協力するとなると、目端の利かない人たちは必ずしも賛成しないのではないでしょうか。実はその中長期の見通しができないことが、暴力への間接支援になっているのですが、当座のカッコよさだけを求める人たち、ことに司令官気取りがしたいだけの人たちにとっては、どうでもいいことなのでしょう。
 暴力を生みかねない、あるいはすでにそうなってしまった「怪しからん」地域のことは、放置しがちです。「泣き叫ぶ子どもたち」の映像のインパクトがあるかどうかで、気分のままに自己満足として支援を決めるようなところがありますが、それは決して「人道」でもなければ、「戦略的」でもないことに留意すべきです。
 戦略的に考えれば、「怪しからん」地域にこそ、徹底的にばら撒き援助を行うことで、社会基盤そのものを現状から変えてゆく策があります。食うや食わずのときは、往々にして声の大きい人についていってしまうのが人の常ですから、貧困のまま放っておくことは、不安定要素を増す結果につながります。それが軍需産業としてありがたい「供給」だと考えれば、軍需産業のロビイストにしてみれば他所の国の貧困ほど嬉しい「カネのなる木」はないといえるでしょう。
 言い換えれば、死の商人でないなら、未然に危険を避け、「怪しからん」状況を避けたいなら、少なくとも食うに困らない状況まで引き上げることを考えておくべきです。それは、泣き叫ぶ子どもたちの映像を前にするときの感傷とは違ったレベルの話です。

 新年番組に見るべきものがないのは毎年のことですが……。
 唯一まともに見られたのが、お正月スタートのNHK「新シルクロード」。
 「25年目のシルクロード」では、「25年前に番組に登場した人を探せ」みたいなノリに。……13億人のなかからテレビ映像だけを手がかりに探し出すのって、無謀じゃないかと思いましたが(笑)。
 記憶が正しければ、放送当時、秦始皇帝兵馬俑の発掘にあたっている学者さんが、「発掘には20年かかる、2001年になったらまたいらっしゃい」と語っていたと思いますが、あの方どうしたんだろう、などとも思いました。実はまだ終わってなかったりしますから(笑)。
 今回も探し出した人に「25年後にまた来てください」と言われていましたが、25年後、あちらはあっても、こっちが残ってるかどうかは微妙かも……。このエセ右翼主導の「時代の空気」が続くとすれば、10年だって怪しいものですから。

2005/01/01 新年快楽

 どの年も皆様がご健康でありますように(アラビア語の新年の挨拶)

 というわけで、あけましておめでとうございます。
 それにしても、標題を「新年快楽」などとしてしまうと、またぞろヘンなメールが来るのだろうなあ。「未成年お断り」な方向に意味違えるヤツが出てくるんだろうと思いながら、新年最初のネット作業が、どーんと届いた迷惑メールの削除殲滅であることにブルーな気分を隠せずにおります。
 じっさい、日本時間0時を回ってすぐに届いた迷惑メールの第1通目は「バイコディン」(ドラッグ)でした。これ今年のテーマにしなさいという思し召しなんだろうか、と頭を抱えている元日の朝です。

 ……ああ、別にカゼが悪化してチェック能力がダウンしたわけではありません(笑)。ちょっと昨年後半に取り上げたエッセイ・コラム系統の文体を使ってみただけです(笑)。

2004/12/31 遠い国から落ちてくる♪

 雪、積もってるよ(よくよく考えると随分な再会シーンあたりの挨拶)

 ……教えてもらうまで知りませんでした(苦笑)。
 ここにいると、窓の外より「パリの現在の映像です」という「BSニュース」の映像のほうが手軽に見られるので(笑)。
 そのBSも、通常の国際ニュース放送は年末年始お休み、「きょうの世界・経済最前線」だけでなく、米ABCや米PBSニュースも年明けまでお預けです。
 とたんにテレビつけなくなってしまうんですが(苦笑)。「世界のドキュメンタリー」の再放送で、見落としたものがあるかどうかチェックするぐらいかも……。

 大晦日の「NHKテレビ5波番組表」を見ると、テレビ3波(総合・BS-Hi・BS2)の総力戦「紅白」のウラに、「プラテネス・スペシャル」(教育)ってどうなんでしょうか。案外視聴率取れちゃったらそれはそれで……(笑)。

 そうそう、検索ワード「BS チェック」で来られる方がいるようですが、きっとそれは血糖(Blood Sugar)のことだと思います(笑)。ウチで書いてるのは「Broadcasting Satellite」の番組チェックですから、念のため(笑)。
 「ABC」も、米ABCテレビのほかに、「イロハのイ」という意味で使われますが、そういう方はこちらのシリーズでもどうぞ(笑)。

 カゼ、治る気配さえないので、仕方なくおとなしくしていますが……って、普段より食欲が進むのはなぜでしょうか(苦笑)。
 そろそろルリッドたんその「たん」余計〜の出番かしら……。
 「ケテック」なんか敵モンスター名にも出てきそうだし……萌える治療指針とか出ても困るなあ、などとバカバカしいことを考えていたら、出版案内が。

 『アタマとオシリでわかる医療英単語』
 『イラストでまなぶ薬理学』
……遠くないかも(おい)

 ここのところ、手持ち無沙汰なので(って早いとこ治してしまわないと、暮れも正月もない国際部としては積みあがる一方……)聴いているBGM。

♪夢の中で逢いたい だけど眠れないの
 Bi-Bi-Bi-Bi Bi-Bi-Bi-Bi YAN YAN YA YA YA YAN
(「下級生2」OPテーマ 「18」)

Wem große Wurf gelungen,
Eines Freundes Freund zu sein,
Wer ein holdes Weib errungen,
Mische seinen Jubel ein!
Ja, wer auch nur eine Seele sein nennt auf dem Erdenrund!
Und wer's nie gekonnt, der stehle weinend sich aus diesem Bund.
(ベートーヴェン「交響曲第9番」)

 ちょっとこの組み合わせは攻撃力大きかったかも(笑)。
 ……「攻撃力」って何?(「はにラジ」あたりの挨拶)

 ところで、音楽CDの規格が「74分間」になったのは、「第9」が1枚に収まるように、という話は有名ですが……この1983年ディジタル録音盤「第9」が、66分ってのはどうよ、と思ってしまいます(笑)。
 ミサトさんだったら「あんたが作ったんでしょ!」って言いそうな気が(笑)。

2004/12/28 このごろの天気は無軌道なるが……

 まだはもうなり、もうはまだなり(兜町でよく知られた格言あたりの挨拶)

 日本時間09:35からの米ABC「World NEWS TONIGHT」を見てから仮眠をとったところ、14時15分からの米PBS「NEWSHOUR」の直前に悪寒と全身の痛みで飛び起きました。即座に体温を計ったら38.9℃。
 ……前回、あんなこと書かなきゃ良かったです(苦笑)。
 とりあえず念のためにインフルエンザの迅速検査を行いましたが、陰性だったので安心しました。
 スマトラ沖津波災害について書こうと思いながら、海外ニュースを見ていてもカンがすぐれないので後回しにしていましたが、どうやら予兆だったようです(泣)。
 ……この不調のままニュースチェック続けていたら、「死んでもロイターから離れませんでした」てなことになりかねません(おい)

 それにしても、昨年末もウチのカゼは別として、イランで大地震が起きていることを考えると、どうしても「年末企画・今年の重大ニュース」というのはまとめにくいですね。終わってみなきゃ分からないという、縁起の悪いことを考えてしまいます。

 というわけで、書くのも読むのも重いテーマは「一回休み」にして、今夜は軽めのネタ、ふだんなら春歌ちゃんがお伝えしそうな「かかずゆみさん情報」(笑)。
 昨日、いつもの日課でNHKの「テレビ5波番組表」をチェックしていたら、こんなの見かけました。

【gooテレビ番組ナビ】
アニメななみちゃん一挙放送・ななみの全てが分かる
「全12話を一挙放送」
12/27(月) 18:00 >> 19:00 衛星第2
出演者:
小桜エツ子
かかずゆみ

 番組では短いものの、インタビューもありました。

出演者インタビュー
 熱が下がったら、あとでインタビュー起こしてみたいと思います(苦笑)。
(12/31追記)
 下がってないんですけど、春歌ちゃんの要望に応えて起こしてみました♪
――青葉未知を演じて
 最初に、お父さんが「おうちはここだよ」って言って、「わあー」ってどんどん階段をこう駆け上がって行っちゃうような好奇心旺盛さっていうのが、すごく素敵だなって思います。
――「しあわせ荘」の住人だったら?
 おうちのほかに秘密基地を作ります。みんなを見渡せる。のぞけるっていうとちょっとあれですけど、響きが悪いですけど。あ、今日はあの人はあそこにお出かけするんだ、とか。すごい見晴らしのいいところを占領したいなと。
――ななみちゃんが本当にいたら?
 毎日楽しいと思います。飽きない。本当に、家族の一員として一緒に過ごしていけたら楽しいだろうなって思います。
――ファンのみなさんへ
 笑いあり、涙あり、ほのぼのーとした感動のお話もあります。ぜひみなさん、楽しんでいただきたいなと思います。

 ……ところで、このNHK公式の番組ページで見ると、5分番組にしてはずいぶん豪華キャスト注ぎ込んでるなぁ(笑)。
 というか、いつもBS1のニュースの合間に出てきて「BS2!」って言ってるだけのキャラクタだと思ってましたが(笑)。

2004/12/24 「クリスマスまでには終わる」

 「年に一度のクリスマスだもんな」(「♪新聞屋、新聞屋、街を行く〜」と替え歌歌う事件記者あたりの挨拶)

 ……年に2度も3度もあってたまるかい、とツッコミたくなりますが、他の「イベントデー」が増えまくっているので……。個人的な記念日をがんがん増やしてこだわっちゃうのは、もっと扱いづらいような気もしますし(笑)。
 去年のいまごろって何やってたかと思って、たまたま部屋片づけていたら出てきたメモを見てみると……。
 「37.2℃。PL、ムコダイン、エンピナースP、ガチフロ、ポララミン。」
 ……これ手帳のメモというよりカルテですね(笑)。しかもしっかりカゼひいてたらしいです(苦笑)。

 世間はクリスマスムード一色、らしいですけれど、そういうニュースは「クリスマス行事での宗教色はいかがなものか」という報道ぐらいしか見かけてないような……。
 ただ、さすがに日本ローカルの祝日と違って、お休みなんだということはすぐ分かります。米ABCのピーター・ジェニングスさんも、米PBSのジム・レーラーさんも、しっかりお休みされてますから(笑)。
 たまたまフィリピンのニュースを見ていたら、フィリピンでは毎年この時期に公務員にボーナスが支給されるのが、今年は予算審議の遅れなどがあって実現できず、先延ばしになるとのこと、「クリスマス賞与がバレンタインデー賞与になる見通し」と伝えていましたが、さすがといっていいんでしょうか。

 そういえば、「♪僕の想いを知りながら〜なんでなんでなんで、どうしてどうしてどうして東京がそんなにいいんだろう〜」と泣いていられた時代は、それはそれで幸せだったのかもしれません。
 これだけ移動手段や伝達手段があると、距離が離れたぐらいで泣いていたら怒られますから(笑)。
 帰宅前の「カエルコール」を推進したのは、あれ電電公社時代でしたっけ? 「シンデレラ・エクスプレス」はJRになってからでしたっけ? ……いま東京駅で最終列車を見送る皆さんが生まれる前の話だったら、ちょっとショック受ける人もいるかもしれません(笑)。
 ♪どこかに故郷の香りをのせて〜 は、東京駅ではなくて上野駅ですが(笑)。
 それはさておき、日本全国どころか世界のほとんどの地域で、携帯電話はもちろんのこと、インターネット接続環境があればボイスチャットでもなんでもできる時代です。
 それが難しいような場所でも、必要とあらば衛星携帯電話を持っていけばOK。それだけに、「距離が遠いから」という言い訳が通用しなくなってきているかもしれません……便利なのか不便なのか分かったもんじゃありませんけど(笑)。

 たとえば「九・一一」の同時多発テロの時、崩れゆく世界貿易センタービルの映像をテレビで眺めながら私は、「ああ、もし私があのビルの中にいたとしても、自分の親以外の誰かが真剣に嘆き悲しむことはないのだなぁ」としみじみ思った。
(『負け犬の遠吠え』)

 クラウゼンは来日後、東京の電気屋や金物屋を歩き回って部品を買い集め、密かに高性能の無線送受信機を作り上げた。それは、真空管やコイルを取りはずすことができ、スーツケースに入れて持ち運ぶことが可能だった。
(『国際スパイ ゾルゲの真実』)

 えらく趣が違うなぁ(笑)。
 もっとも、後者にしても、

 のちに中国、アメリカ、日本など海外で諜報活動をつづけている間、ゾルゲは頻繁にカーチャに手紙を送りつづけている。ドイツ人という立場で、本来の身分と役割を隠して暮らすゾルゲにとって、かかわりのあるはずのないソビエト宛ての手紙は、けっして発覚してはならないものであった。その危険をおかしてまでゾルゲは、彼女への手紙を、友人に託したり、荷物の間に隠し込んだりしながら送り出していた。

というわけで、やっぱりどんな状況にあっても、「連絡(レポ)の切れ目は縁の切れ目」、命がけで維持しなきゃいけないみたいですよ、男性の皆様(笑)。
 ウチで使っているプランでは、日本国内どこでも3分15円、相手が携帯でも1分18円、アメリカ・カナダ1分15円、香港・台湾1分39円なので、もはや通話料金の問題ではなくて「時差」が問題かも……国内なんですけど(苦笑)。
 ジュリエット、オスカー、アルファ……って何のコードですかこれ(笑)

 好評配信中の「はにはにラジオ」、冒頭いきなり忘年会シーズンからお酒の話題に(笑)。
 聞いてるこちらはワイン飲んでるので、まあ大きなことは言えませんが(笑)。
 いま飲んでいるのはベーレンアウスレーゼ(ドイツ)ですが、とっても甘いです。……貴腐ワインですから甘いのが当たり前ですけど(笑)。
 まさに「デザートワイン」という通りで、美味しいワインはそれだけで楽しめるので、トータルコストで見れば案外安上がりかもしれません。
 ……そんなことはないか、食前酒(アペリティフ)にも使われるので、食欲増進効果もありますね(笑)。
 どちらにしても、こっちの系統は楽しいときに飲むもので、悲しかったりヤケになってるときにムヤミにあおって、挙句悪酔いしたりするのとは正反対の位置にあります。
 ……ケーキいらなかったかも(笑)。
 まあ、日本時間の朝方にでも、何しろアンカーが休んじゃっててどうもパッとしないABCニュースを見ながらコーヒーとあわせていただこうかしらと思ってます(笑)。もしかしたら「ABCは現地での放送がありませんでした。ご了承ください」になるんじゃないかといま嫌な予感がしますが……。
 ということで、あとはドイツ担当の春歌ちゃんに振っておきます(こらこら)

2004/12/23 世界一周時差一周

 ♪黒ヤギさんたらお手紙食べた……さっきの手紙のご用事なあに♯ (差出人が分かるだけ、封筒よりはマシかと思う童謡あたりの挨拶)

 懐中時計を玉子と間違えて茹でちゃったのはニュートン先生でしたっけ? さすがに飲み込まなくて良かったと思うのは、万年時差ぼけみたいな世界にいるからかしら(苦笑)。
 というわけで、日本時間の日付が分かんなくなってごたごたしたのはナイショです(苦笑)

 メールボックスをのぞいてみたら……。

>Subject: Vicodin - only now Margery
>Christmas sale on Vicodin and other drugs.
>You won`t find better prices anywhere!
>Vicodin from 3.86$
>Codeine from 4.12$
>Please click below and check out our offer.

 「バイコディン」って……。

レオ・マクギャリー首席補佐官:
 君のボスの夫は、胸部外科の主任をつとめていた病院から、バイコディンとパーコセットを盗み出そうとして捕まった。バイコディンとパーコセットは第2級のドラッグで、アヘンと同等だ。
(「ザ・ホワイトハウス」第1シーズン)

 フィッシング詐欺が話題になってますが、その手口を逆用して、麻薬取締官などが「おとり捜査」として、こういう「麻薬いかがですか?」メールを出して、注文してきた人を捕まえちゃうのはアリなんでしょうか?(笑)
 だから、いつも言ってるようにですね、クスリ悪用してカネ儲けようとする奴は、青酸ニトリールかなにかでお仕置きですよ?(おい)


読み書き算術能力の退化 【朝日/経済気象台】
 OECD(経済協力開発機構)によれば、日本の15歳の読解力、数学応用力などの学力が落ち込みつつあるという。つまり、読み書き算術が出来なくなってきたのだ。日本は江戸時代から寺子屋が発達し、読み書き算術が普及していた。これが明治以降の急速な経済発展の基礎だったが、文化の爛熟(らんじゅく)に伴い、その能力が退化しつつあるわけだ。
 私も大学で教えているが、文章が書けない、字が書けない、言葉がしゃべれない、計算が出来ない姿が、目に余ってきた。レポートは、インターネットでキーワードを検索し、ダウンロード、印刷で出来上がり。かつては学生が頭を振り絞って書いた形跡があり、心を打たれたものだが、今はまれだ。技術進歩で能力が退化する、典型例だろう。
 言葉はケータイに制圧され、まともにしゃべれなくなった。刹那(せつな)的、断片的、自己都合的で、自分の人間像を見せない。ワンフレーズ首相の影響も大だ。
 算術は、小数、分数、割り算が出てきたらお手上げ。マクロ経済学では、乗数効果として「1マイナス限界消費性向分の1」を計算するが、式をたてても計算で立ち往生だ。
 OECDによれば、読解力が落ちたのは、下位の生徒の成績がガタ落ちしたためで、上位の成績は変わらない。学力の二極分化は、就職組とフリーター組の分化にもつながる。
 世界をみると、読解力では、米、独、仏が日本と同グループで低迷し、数学では日本よりずっと下だ。英国は回答率が低く公表されなかったが、英エコノミスト誌によれば、やはり低迷グループに属する。
 大国の読み書き算術能力が退化すると、何が起こるか? 大国では一部のエリートが、単純な言葉で大衆の人気取りに専念し、権力に居座る。良識ある小国は、愚かな大国に振り回されながら慨嘆する。とすれば、これはすでに起きているのではないか?(曙光)
(12/21)

 だから日本の経済学は(略)なんです(苦笑)。
 大国がどうのというのは、まるで「日の沈むところなし」大英帝国の末期を見るかのようです。アメリカが大国と呼ばれるようになったのは、わずかここ1世紀ちょっとのことでしょう。超大国の一翼を担い、また経済学に功罪ともに少なからぬ貢献を残した「ソ連」でさえ消えてなくなりました。
 短期的には、「愚かな大国」が世界を振り回すこともあるでしょう。しかし、おごる平家も何とやら、いま現在大国だとうぬぼれていても、あすは国破れて山河あり、流浪の棄民と成り果てることさえ十分ありうる話です。
 日本の「専門バカ」の特徴の一つに、まるで歴史感覚というものがない、年号やトピックスは試験対策で覚えていても、そこから身近な教訓を学ぶような姿勢がないことが挙げられます。
 物理学の素粒子論や数学の虚数のように、といったら物理や数学の先生に怒られるかもしれませんが、それぐらい歴史も「他所の世界のお話」感覚が強いのではないでしょうか。太陽が地球の周りを回ろうと、その逆であろうと僕の生活には関係ない、とホームズ先生がからかっていますが、そういうおとぎ話感覚で歴史を見ていたら、年号暗記テストの点数以外に残るものはないでしょう。
 「かつては」なんて気取ったこと言ってますが、本当に当時「頭を振り絞って」書いていたと、誓って言えますか? 時間的に短く見えるからそう錯覚されるだけで、当時だってあっちこっちの文献から手書きで写してきただけじゃなかったと、本心から言えますか? 今も昔も、オリジナリティを主張できるレベルの「レポート」を、そんなに多くの学生が、日常的に書けるとはとうてい思えないんですが。
 それにしても、「苦労すれば身につく」とでも言いたげなこの手の論調を見ると、いまだに日本では「労働価値説」が根強いんだなあ、と思わされます。
 天才・能才が、瞬時のひらめきで、数秒で作り上げたものには畏敬の念を抱きつつも、どちらかと言えば「長年の苦労の成果」を尊重したがる。「結果ではなくてプロセスが大事だ」といえば響きはいいですが、それは成果主義とは違う世界のはずです。仮にいま、まったく同じ研究者の論文が、かたや図書館の奥深く埋まった論文誌、かたやその研究者が自分のサイトで公開していたとします。どちらから引用するにしても、引用という作業はまったく同じで、そこから先が勝負のはずですが、前者のほうが「よく頑張った」といわれがちですよね。
 実際にこの先生がおいくつだかは知りませんが、その師匠の世代も、「昔の我々の時代は、試験の答案も万年筆で、一字も間違えないように書いていたから、答案を見ても心を打たれたものだが、最近の学生は鉛筆で書きなぐって出来上がりだ」と嘆いていたのではないかと思います。
 見つけ出す作業のテクニックを教えるなら、また話は別です。言語の学習において、「辞書を引けるようになる」ことは大事な過程ですから、そういう意味での「引き方・調べ方を身に付けておく」必要は確かにあります。
 というのは、根本的に、「コトバの仕組みが分からないと辞書が引けない」ことはあります。いまの文章でも、どこで区切ればいいかが分からないと、引きようがありませんね。テン(読点)で区切ってあるから、「根本的に」までだと見当がつくだろうというのは、私たちが日本語を知っているから起きる錯覚であって、そうまで言うなら「ヲコト点」の漢文読めますか、と言ったら、たかだか数百年前にこの国で行われた記号なのに、区切りであるとさえ分からないわけです。
 ですが、ここで言われているようなのは、そんな話ではなくて、単に「瞬時に“ぐぐって”持ってくるのは気に入らない」という愚痴にすぎないのではないですか。
 苦労だけをいうなら、蘭学、つまり江戸時代の西洋医学の輸入なんて、辞書を聞き書きで作っただけで歴史に名前が残っているわけです。閉鎖環境にあった日本人にとっては輸入という大事業であっても、世界的に見て、つまり人類に対して新しい発見をもたらしたかというと、そんなことはありません。
 辞書の引き方が大事だというのは、その先に控える本質を理解する途中のステップ、文字通りの踏み台として近道だということがあります。辞書がない言語をマスターしようとしたら、大変な遠回りを強いられることになります。「辞書はあるにはあるが、英語経由」でも、実際にやってみれば分かりますが意外に面倒なものです。
 いつだったか、「働かざる者食うべからず」のネタを探して悪戦苦闘したことがありましたが、あの例で探せるかどうかは、(1)ソ連であると知っていて、(2)ロシア語で検索できる、の2条件が必要です。原文がロシア語なのかドイツ語なのか分からないままでは、さすがのGoogleでも、同じネタを日本語で扱っている先駆者がいない限り手におえないでしょう。また、原文の言語が分かっても、その言語(ロシア語)で検索ワードが思いつかないと、やはり探しようがありません。たとえば、もし原文がペルシャ語だと言われたら、ペルシャ語がさっぱり分からない私には、検索ワードを思いつくのさえ至難の業です。
 ここで、非常に便利な武器として、機械翻訳であるとか、電子辞書といったものがあります。まるまる使えるレベルではないとしても、検索ワードを思いつく手助けとしては使って便利、強力な武器です。それを手抜きだと決め付けるなら、外国語の辞書も否定的に見なければならなくなります。時に「英和辞典を引くな、英英辞典で引いて英語のまま考える習慣を身に付けなさい」とも言いますから、まるっきり的外れだとは言いませんが、しかしそれは程度問題に過ぎない話で、電子辞書だからダメで紙の辞書なら立派だということではないのです。
 計算・算術も同じで、道具として使えないと困るのは確かですが、そこで留まっている懐古主義にも疑いの目を向けなければなりません。電子式計算機登場前、手回し式計算機(もう博物館に行かないとお目にかかれませんが)の時代、三角関数開くのはある意味「腕力」みたいなところがあったといいます。一つ数式解くたびにハンドル回さないと答えが出ないからです。さらにその前になると、三角級数表を使って計算してゆく世界だったわけで、「手回し式計算機によって天文学者の寿命が延びた」と言われるのも無理はないのです。
 「円周率πはおよそ3」が、「ゆとり教育」の問題点として槍玉に挙げられたこともありましたが、乱暴な言い方をすれば、どっちにせよ最後の桁まで出ることがないのは数学的に分かっているんですから、どこで区切りをつけるかは、数学の知ったことではありません。「3」でも「3.14」でも、「3.14159265」でも、不正確な概数であることは同じです。しかも、これまた、そこらで普通に売っている関数電卓を使えば、実用に耐える桁は出ます。
 問題は、「3.14」世代が優秀だったかというと、本当にそうか、という点に尽きます。「3.14」で計算しようとすると、積分でよくお目にかかるπ2がいきなり面倒になってきて、その結果計算をさぼったり、桁を一つ間違えたりする危険がある、よほど「πは3、πの二乗は10」で概算をつけて細かい数字は電卓にやらせる癖をつけたほうがいい、というのは物理屋さんでも工学屋さんでも言われていました。
 計算ができないことで問題なのは、むしろ正確な数値が出せるかどうかではなくて、プロセスをチェックする習慣が抜け落ちるところにあります。
 確かに、電卓みたいに瞬間的に答えが出てくれば便利そうに思えますが、そういう精神異常の症例も少なくないのです。北杜夫氏が、年月日から即座に曜日を当てる患者さんの例を書いていますが、いまならExcelのように優秀だというのでしょうか。曜日の算出式は、やろうと思えばあるんです、ユリウス暦を使って経過日数を出して剰余で分かる、というのがあって、天文学の教科書見ればちゃんと出ているんです。が、そういう教科書を書いている先生でも、そんな瞬時に計算ができるとは思えません。それでも、「天文学的数字」を日常的に扱っています。
 それでは、全部計算機任せでいいのかというと、過程、プロセスを理解せずに使えてしまうことで見落とす危険があります。たとえば、「-1のn乗(-1n)」を考えると、関数電卓の「x^y」機能を使えば、「-1125」でも何でも出るには出ます。しかし、よくよく考えれば、正負の符号がひっくり返るだけのことですから、与えられたnが奇数か偶数かだけ見れば、電卓に叩き込む必要もありません。そういう、「ちょっと頭を使えばいいのに」という部分の思考を、計算機任せが奪う危険性があって、これが怖いんです。文字通りブラックボックス化してしまうと、数学の本質が見えなくなってしまうからです。
 これは、プロセスを見ることで気づくはずの前提条件を、計算機任せにすることで見逃してしまう危険性とも同じところにあります。私たち理科あるいは物理の最初で、モノを投げ上げると放物線を描いて落ちてきますよ、と教わって、またそのとおり教えるわけですけれど、そこで使う地球の重力加速度というのは、あくまで身近な「地べた」に限っているわけです。その計算式でロケット上げようとしたら失敗するに決まってます、というよりもあれでは上がらないんです、「落ちてくる」んですから(笑)。物理ならその先、エネルギー保存則であるとか、万有引力定数といったものをちゃんとフォローしてゆきますが、それを知らずにどんな対象でも使えると思って、計算機に数字だけ叩き込めば、それは計算機は正直ですから、ロケットのような極端な速度を入力しても、落下までの時間は出てきますよ。落下しちゃ困るんですから、そんな数字使い物になりませんが(笑)、出るには出るでしょう。そこの見極め、つまり「どこまでこの式に任せていいのか」という判断は、最初から最後まで計算機に入れるという態度でいると、見過ごしてしまう危険があるわけです。
 ということは、「一度やってみる」必要はあっても、日常的にいつでもどこでもできなければならない、というものではないわけです。年月日から曜日を割り出すのでも、面倒でも一度は苦労して実際に計算してみる必要がありますが、「来月の23日は何曜日だっけ?」というときにまで、それをやらなければならないというものではありません。そんなのはカレンダー見たほうがはるかに速いですから(笑)。いつも使っているカレンダー(ここでは面倒を避けるためにグレゴリオ暦に限定しています。この流れで旧暦やらイスラム暦が入ると話が大脱線するのは目に見えてますから(笑))も、計算でどんどん出せるんだ、ということを実践してみる作業は有益でしょうが、だからといって壁に貼ってあるカレンダーをめくらないで、曜日判定をごりごりやっていたらおかしいでしょう。
 ツールに頼る、道具に頼ることで、根幹の部分までブラックボックスに入れてしまう危険はあります。しかし、それは日常的に「算術」ができなければ困る、というのとは、まったく別の問題です。基礎を身に付けてさえいれば、手を抜くのは大いに結構です。
 まあ、情緒的な話なら、流暢な字で万年筆で書かれたラブレターと、「ケータイ」メール、同じ文面でも感じ方が違うかも、というのはあるかもしれませんが、それはシチュエーションによって左右される枝葉の問題です。
 つねに「ラブレターの法則:メール≦万年筆」かといえばそんなことはなくて、いままでケータイでメールやりとりしてた相手から、いきなり万年筆で来たら何事かと焦るかもしれないでしょう(笑)。状況というものを大局的に(マクロ的に)、推移や変化も含めて観察してゆくことが、ホームズ先生流の「どんな細かいことに注目する」のと対立するようでいて、実は表裏一体のことを言っているのです。
 これもラブレターでいえば、いつもと同じ「便箋にボールペンで手書きの手紙」くれたとしても、いつもは「洋4」の白い封筒なのに、なんで今日は「角2」の茶封筒なんかで来たんだろう、などなど、細かい点で気づくことも少なくないかもしれません。が、そんな色恋沙汰の話は圏外もいいところで、それこそ別の方にお任せします(笑)。
 そんな情を度外視したところから見る限り、問題は中身です。ただし、ここでいう中身には、「見かけのよさ」も含まれています。
 「見かけのよさ」は中身じゃないだろう、と思われがちですが、数式解くんでも、あっち行ったりこっち行ったりしているのをそのままレポートに書くよりは、一度その試行錯誤をやった成果をまとめてコンパクトに書いたほうが、読むほうに分かりやすいものになるでしょう。
 ここで銘記しておかなければならないのは、レポートであっても「果たし状」であっても、あるいは犯行声明であっても、「読み手」に分かってもらう、読んでもらうことを前提にしなければならない、ということです。読んでもらって分かってもらえないとすれば、これでは書いた甲斐がありません。近所に住む日本人の女性に一目ぼれして一世一代の手紙を書いても、それがいきなりアラビア語だと、受け手がとんでもない誤解をするかもしれません(笑)。ついつい神聖不可侵のように勘違いしてしまうコトバでさえ、究極的には「相手に理解してもらう」ための手段・道具に過ぎないのです。
 ですから、相手に理解してもらうために、より良い表現方法があるなら、ためらうことなく使えばいいのです。メールでも「軽い」と誤解されない確信があるなら、メールでいいんです。手書きの文字に自信がないなら、PCで打って整形して、相手に読みやすい形にしてあげたほうが、無理に手書きにこだわるよりもよいことも多いでしょう。
 そうそう、話ずれますが、目下レポートや試験などで(手書きの)筆記から免れない皆さんに、テクニックをひとつ。一部の例外を除いて、日本のほとんどの「先生」は、年寄りです。老眼が進んでいる人もいますし、そうでなくても近視や乱視が入っている方が多数です。また、色彩の識別能力も、年齢によって個人差はあっても低下するとも言われます。
 ですから、手書きのレポートにせよ試験の答案にせよ、薄い鉛筆やシャープペンシルで書くのを、読むほうの立場で考えてみたら、「きつそうだなあ」と想像できません? 同じ内容・文章で勝負するなら、読みやすいほうが頭に残りやすいのは想像に難くないところです。HBより薄い(硬い)芯を使って、小さく薄い文字で書いてしまうと、せっかく中身が良くても、試験官に見落とされてしまって損することもないとはいえません。ほかに理由があれば別ですが、イラストを描くのと違って芯の硬さのフィーリングで中身が変わってくるわけではないなら、ちょっと教官にサービスして、「同じ文でも、読みやすい分だけこっちが目立つ」作戦をとってみるのも一策ですよ。……これ実は師匠からの受け売りですけど(笑)。
 それはさておき、レポートでもメールでも、相手に読んで理解してもらってなんぼのものであって、コトバの基本的役割はそこにある、ということは忘れてはいけません。
 そして、コトバのもう一つの大きな役割が、モノゴトを切って分析してゆく、つまりコトバを通じて考えるということです。「なんだかモヤモヤする、イライラする」では相手に伝わらないのと同じく、自分自身でも正体が分からないコトは言葉にも文章にもできません。逆にいえば、言葉や文章にできないときは「まだよく分かっていないんだ」と自覚するきっかけにもなります。
 手書き万能主義のご老人はまるっきり見過ごしていますが、鉛筆でもボールペンでも、PCでも、ツールは何でもいいんです。どんなに苦労して手書きで書いても、中身の文章が読むに耐えない独り善がりの内容だったら意味がありません。コトバにすることで思考を整理してゆく、考えながら「誰にでも」分かるようにまとめてゆく、この能力こそが重要なのです。
 もし、技術の進歩で人の能力が退化するとすれば、そんな能力はもともと大した意味がなかったともいえます。無法な社会にあっては、自分の腕っ節で相手を倒す力が強い、要するにケンカが強いことが最重要かもしれませんが、法治国家の文明社会では意味がないのと同じです。そんな上っ面のところにだけ目を奪われるようになると、脳の老化の徴候と見るべきでしょう。
 ご老人はどうせそんなに長くはないでしょうから、慨嘆するだけで結局は畳の上で終わるかもしれませんが、渦中の世代はそう楽に生きられるとは限りません。「大国」の国民の能力が低下するとどうなるか、その答えは、歴史に照らしてみる限り、途中紆余曲折はあっても、「大国ではなくなってしまい没落する」と言わなければなりません。とくに、天然資源なしに急速な発展を遂げた場合は、没落の速度もこれまでの歴史以上にスピードアップして奈落の底へ一直線であろうという想像は容易にできるところです。
 だからこそ、いま槍玉に上がっている現役世代の皆さんには、こういった「昔は良かった」式の老人の二の舞にならないように、読み書きを通じて物事を考えてゆく、思考能力を身に付けていただきたいと思います。  老人の慨嘆は耳障りですが、そんなのに振り回されて、どうしようもない人たちと心中するのは馬鹿げています。年寄りに評価してもらうためにOECDテストの得点向上に努力する必要はありませんが、将来この国が没落しようと滅亡しようと、自分が生き残るために国際社会で通用する学力を持っている必要があります。サバイバルとしての学力の必要性と言ってもいいでしょう。
 「ワンフレーズ首相」によって、「焼け野原」になる事態を避けるのは、現在選挙権を持っている大人の責任です。そもそも、「ワンフレーズ首相」やら、その前の「……」しか言わない人やら、「ボキャ貧」な人やらを首相に選んできたのは、いま「学力低下」を嘆いている人たちです。
 しかし、いま選挙権がない、まさに学習能力テストを受けている世代は、そういう暗い将来を頭の悪い大人が用意していたとしても、そんな大人たちと運命を共にしないよう、生き残る作戦を考えなければなりません。考える能力は、大人に評価してもらうために身につけるものではありません。馬鹿が死に絶えた後に生き残り活躍するために、自分自身の将来のために必要なのです。
 ただし、能力が劣っている人は、往々にしてヤッカミや嫉妬から、その能力を持っている人を叩きたがる傾向があります。いま頭の悪い大人の前で、本当の学力を見せてしまうと、ヤッカミを受けてしまって、不便な状況に置かれるかもしれません。そんな器の小さい人間に係わり合いになるだけ損ですから、そういうときは人間像を見せないように隠しておくのも一策です。最終的には、自分が持っている本当の能力で行く末が決まるのですから。


>春歌(WS)ちゃん(12月21日)
> 短大に進学した堀江由衣さんはたまたま手にとった「ボイスアニメージュVol4」でアーツビジョン特待生新人オーディションを知り受験したところ見事に合格。1996年にアーツビジョン11期特待生として声優人生をスタート。

 そういえば、確か国文科じゃなかったっけ?
 実は、浅野真澄さんもですけど、「大卒」と言われると、「まさか知り合いが教えてたりしないだろうなぁ」と、まるっきり別次元の不安を感じたりすることがあります(笑)。
 しかも、皆さん「ラジオ・パーソナリティ」としてフリートークもなさるわけで、そうすると、教えたほうは忘れてるような雑談の間違いを、数年後に全国放送されてしまう事態も……怖いですねえ(笑)。
 「教授殺すに刃物は要らぬ、昔のノートがあればいい」なんて言ったりしますが、まあ学部の、しかも大人数教室でやってる必修の講義なんかは、教えるほうもラジオ番組みたいなノリでしゃべってる可能性もありますけれど(こらこら)。
 そういえば、あまり理系卒という話を聞かないのは、やはり「コトバ」を扱うお仕事を目指すだけあって、もともとそういう方向に関心が向きやすいからでしょうか?
 それとも、「タレントさん」に広げてみても、医学部からという話は一向に聞かないのと同じで、要するに「時間がない」から?(苦笑)
 ……冗談はともかく、たまたま雑誌を手に取ったことがきっかけとなって、時代を変えるだけのパワーも生まれてくるわけですから、メディアというのは作るほうが予想もしなかったような影響を与えることがあるんですね。「♪子供が見ているぞ、責任重大だぞ」 ってそれも違う話ですか(笑)。

(追記)
 17日付春歌ちゃんのネタじゃないけど、こんな事態に(苦笑)。

2004/12/22 24時間はやく行く♪

 番組の途中ですが、ここでニュースをお伝えいたします。
 東京発至急電によりますと……。

■台湾でのイベント 【Nakid公式】
「ウラモモーイ」生放送にて発表ありましたように2005年 2月19日(土)、20日(日)に
台湾で行われるイベント「Fancy Frontier5」に桃井はるこ、出演決定!!
詳しくは続報をお待ち下さい。

 日付見る限りでは既出っぽいですが、周りで見かけなかったので……。
 単にウチでチェックしてるサイトの皆さんが、年末やコミケでお忙しいだけかしら?(苦笑)
 下手するとこっち方面では、「李登輝さん訪日」並みのインパクトありそうな気がします(笑)。「ヨン様」に負けてらんないのよね(こらこら)

2004/12/18 ゼロまたは2以上

 「……とお読みするんでしょうか」(一昔前の遭難名簿読み上げでよくあったあたりの挨拶)

 というわけで、固有名詞、ことに人名の読み方はいろいろあって難しいことも多いですね。
 地名なら「それぐらい知ってなさいよ」というのもあるでしょうが、そういう人も海外についてはサッパリだったりしますから、五十歩百歩と言われないように気をつけなければならないでしょう。

>春歌(WS)ちゃん(12月15日)
> ちなみに冒頭のプリーズ大津田さんというのは鬼玉水曜のバカボンさんと一緒に出ているやはり大沢事務所所属の声優で、仰天人間バトシーラーのローラーローリィ役などを演じた事があるそうです

 オオツダ、とお読みするんでしょうか(笑)。
 「津田」という地名があります。これだけだと「ツダ」と読むのが多いでしょうし、人名では「ツダさん」と読む場合が多いと思いますが(こっち方面では、某プロダクションのマネージャさんが有名かも(おい))、この上に何かつく地名では、(日本語でよく起きる現象ですが)「ヅダ」と濁るところがある一方、まるっきり濁らない「ツタ」と読むところもあります。

 ……なんでこんなこと言い出したかというとですね、話は1週間ほどさかのぼりますが……。
 先日、『9/11独立調査委員会報告』をAmazonさんでオーダした話は書きましたが、箱を見ていたら、「TIME」誌の定期購読のDMが入っていたのですよ。
 1年購読(54号)で1万6千円ちょっと(64%オフ)だとかで、しかも「もれなくTIME特製キャリーバッグさしあげます」というフレコミにも驚きました。……丸善とか三省堂で、「これ1ドルいくらで計算してるんだろう?」と思いながらも洋書コーナで衝動買いしていた時代もあったなあ、などと言い出すとまた話ずれますから省略しますが(笑)。
 で、雑誌なら必ずといっていいほど書きたがる「いろんな特集やってます」というセールスフレーズを何気なく見ていると、
アジアでも注目度が非常に高いJPOP。他誌では見る事のできない貴重なインタビューやフォトは見逃せません
とあって、特集号の表紙写真が出ていたんですが、よく見ると「Ayumi Hamasaki」。……って、濁らないんですか?(笑) すっかり「ハマザキ」とお読みするんだと、今の今まで思い込んでいました(苦笑)。
 これは、サウジアラビアで先日テロがあった都市名は「ジェッダ」なのか「ジッダ」なのか、英語表記さえBBCとABCでは違うから困るなあ、などと言っている場合ではありません(笑)。

 ものすごい紹介文にひかれて、「ベストセラーと言われると1歩引いてしまう。さらに“感動の”と付けられると手にも取らない」私が珍しく買ったのが『負け犬の遠吠え』
 だいたいこの本のタイトル、最初に見かけたのもワシントン発で取り上げた台湾の新聞記事から、というぐらいだったんですけれど(苦笑)。

 三十過ぎて独身、という女性はどのような性質を持っているのか。……と考えてみると、その多くは、真面目で知的な人達です。妥協や打算で結婚などせず、仕事上でもある程度優秀であるからこそ、彼女達はその年齢まで独身を張ってくることができた。
 で、その手の人が趣味を持つと、どんなことになるか。……と考えると、「とことんのめり込む」ようになることは、火を見るより明らか。(中略)
 競輪場で、選手がスタートする場所の前に陣取って、金網にかじりついてお目当ての選手に声援を送る負け犬。寄席で、若手講談師の話をじっとりとした視線で聞き入る負け犬。“この人達は、モテないから趣味の分野に走るしかなかったのか、それとも趣味の分野に尋常ではない興味を抱いてしまうからモテたいという気にならないのか……”という、卵かニワトリかのような疑問を抱かざるを得ない。

 この本、「負け犬」の定義を冒頭で、

 狭義には、未婚、子ナシ、三十代以上の女性のことを示します。(中略)
 なお、本書において「負け犬」と記されている場合、その性別は基本的にメス、すなわち女性です。未婚で子ナシで三十代以上の男性については「オスの負け犬」と表記しますので、混同の無いようご注意下さい。

などかなりきちんとやっているんですが……。エッセイでも冒頭で「定義」をしてしまうあたりの几帳面さが、軽妙な文体に垣間見える「負け犬」の特性のような気がしてしまうのは、分析のしすぎかしら(笑)。
 というか、ウチにもここ最近になって「昔一時期はクラシックばかり聴いていたけど、ベートーヴェンやっぱいいですね。カラヤン初期の第5のスピード感もいいし、無機質なぐらいクリアなバックハウスのピアノもいいし……。前後を見渡す意味で、ここはやっぱりフルトヴェングラーやアシュケナージも聴いてみる必要がありますね」と言い出している人がいるので、微妙に他人事ではなさそうな予感が(笑)。
 でも、著者も書いているように、「趣味に走る」余裕だけでなくて、そのニーズに応えるだけの供給もあるんですね。経済学の基礎ではありませんが、「需要あるところ供給あり」で、たとえばクラシックなんか追い討ち(?)をかけるように、ユニバーサルミュージック社が「1000円均一(税込)」の「ニュードリームプライス1000 完全限定版」なんて広告を出してたりします。録音使いまわせるんだからそりゃ安いでしょうよ、とツッコミ入れる前に買ってしまうあたりが危なっかしいです(笑)。
 だいたい、メディアについて関心が高かったカラヤンは別格としても、ケンプにしてもバックハウスにしても、ジャケット写真を見ていると確かにカッコイイ。でもでも、そこで思い出しておかないといけないのは、アイドル系でありがちな「でもこの人婚約しちゃったんだよね」どころの騒ぎではなくて、すでに全員幽明界を異にしているということ。……って、ウチにある音楽CDで、存命の人のってアニソン系だけかも(苦笑)。いまN響に来ているアシュケナージを買って比率を少し……そういう問題でもないか(笑)。

 死んだ後のことについても、考えてみましょう。自分の子がいないということは、死んだ後に墓を守ってくれる人がいない、ということになります。
 私には結婚している兄がいますが、兄にも私にも子供はいない。となると、酒井家の墓を守る人もいない。私の親は既に酒井家が断絶することは覚悟しており、私は既に、
「うちの墓もいずれなくなるわけだから、私が死んだら散骨してくれ。場所はハワイでもロスでも、あなたの行きたい場所でいいから」
 と言い渡されております。安心して墓にも入れない親に対して申し訳ないという気持ちは持ちつつも、
「わかった。じゃあ私、ハワイがいい」
 と答えてしまう私。しかしその頃になったら、ハワイに骨を撒く日本人がたくさんいるのだろうなぁ。ハワイの人も、結婚式をやりまくったかと思えば今度は骨を撒きにくる日本人を見て、「冠婚葬祭ぐらい自分の国でできんのか」と思うに違いありません。

 微笑だか苦笑だか分からないまま「乾いた笑い」を誘いますが……。そこで「そういや『日はまだ昇る』論たけなわの頃、ロックフェラーセンターまで買収して、『日本人は全部買い占めるつもりか』と言われた時代がありましたねえ」と返してしまう人、きっと「負け犬」当選確実です(笑)。
 おそらく実年齢がどうのというよりも、“知識”で応じてしまう時点で当確です。「まだ若いですから」と言ってみても、そりゃ「選管はまだ開票情報を発表していませんが、出口調査など独自の取材に基づいて当確と判断しました」状態(笑)。
 「いやいや、開票速報だって当確の打ち間違いがある。2000年のアメリカ大統領選挙みたいに、フロリダでくるくる変わるかもしれないし、それに票の数え直しをしたらひっくり返る可能性もあるんじゃないか」なんて言い出したら、当確から当選に移ってしまうでしょう(笑)。
 きっと「勝ち」に入れる人は、年齢に関係なく「うわー、そういわれれば悲惨だなぁ……ちょっと考え直してみないといけないかも」と反応できる感覚を持っている人です。これは、いわば無所属でも、「無党派層から幅広い支持を確保し、当選を確実としました」といった人たち。
 これに対して、ロックフェラーセンターだとかアメリカ大統領選挙だとかに行ってしまう人は、その手前で「その事態、怖いかも」と感じない時点で、「自民ほか6党の推薦を受けた現職に挑みましたが、現職が手堅く票をまとめたため及びませんでした」と言われてしまうタイプだと思います(笑)。
 ……というか、いまの開票速報のセリフが、川端義明アナ(沖縄放送局に異動になってます)の声でイメージできてしまう時点で、間違いなく負けてるなぁ(苦笑)。

 ところで、おそらくこのページの視聴者(?)の多くは、視聴率調査でいうM1層、男性20〜34歳ではないかと思いますが……M2/F2層(35〜49歳)もさることながら、M1/F1より下の世代もいるのかしら……、女性だけを取り上げて「負け犬」呼ばわりしているかのように書くと問題がありそうですから、「オスの負け犬」分析についても引用しておきます。

 さらに言えば、女性が余りゆく理由は、“いまだに男性が低方婚を望むから”だけではありません。かねてより私は、自分の知らないどこかに、結婚をしていない男子ばかりがゴソッと余っている秘境が存在しているのではないかという疑いを持っていたのですが、その解が得られたような気がした瞬間があったのです。
 それはある日曜の夜、私が実家で夕食を食べてから、自分の家に帰ってきた時のことでした。一人で道を歩いていると、前方から一人の男性が歩いてきたのです。彼は、歳の頃は私と同じくらい。見るからにおたくとわかる風貌で、秋葉原のイベントの帰りなのでしょう、手に下げた紙袋には、丸めたポスターが入っています。
 そして彼とすれ違った瞬間、私はハタと理解したのです。
 「今、日本で余っているのはつまり、日曜の夜の道を一人で歩く私みたいな女と、このおたく君みたいな男なのだ!」
 ということを。
 おたく君というのは、ゲームやアニメ上の女子や、チビッコ女子に対して「萌え」を感じる生きものであって、現実の女子を具体的にどうこうしたいと思う人達ではありません。
 「低方婚」という指摘は興味深いもので、伝統的な日本の男性は、学歴・収入・身長といった条件が自分より「低」である女性と一緒にいるほうが安心する、という説明をその前の部分でしています。

 晩婚化や少子化が論じられる時は、たいていそれらは女性の問題として捉えられることが多いものです。(中略)
 しかし私は、この晩婚化・少子化の原因の半分は、否、半分以上は男性のせいなのではないか、という気持ちを持つ者です。女性側には、「男性から積極的にアプローチされれば、拒みはしない」という人も多いもの。(中略)
 では、オスの負け犬とはどのような人なのかというと、
・あまり生身の女性には興味の無い人
・女性に興味はあるけれど、責任を負うのは嫌な人
・女性に興味はあるけれど、負け犬には興味の無い人
・女性に興味はあるけれど、全くモテない人
・女性に興味はあるけれど、単にダメな人

 ところで、こういう視点から見れば、かたや「低方婚」、かたや「おたく君」で、資源が枯渇しているかのように見えるのかもしれませんが、改めて指摘するまでもなく、「複合汚染」が起きている可能性もあるでしょう。
 具体的にいうと、「オスの負け犬」を5種類に分類していますが、重ね持っている人も少なくないのではないかと思うんですね。「おたく君」かつ「伝統的な低方婚」というダブルブロックだとか、さらに「ダメな人」が重なったトリプルブロックだとか、「昔のソ連のバレーじゃないんだからさぁ……」と言いたくなるほどの鉄壁もありそうです(笑)。
 それと、本書の著者は世代的に気づいていない可能性がありますが、女性の「おたく君」も急速に増えつつあるようですし、そこにも「ダメな人」が重なったりしていますから、無理なものは無理かもしれない、と言いたくなってきます(笑)。
 基本的には、著者も「勝ち負け」は面白い区切りとして使っているだけで、どちらかを批判するような姿勢ではありませんし、ましてウチは「少子化何が悪い」ですから、「負け」を連呼する気にはなおさらなれないのですけれど……。
 どうしても「対策」が必要だとは思わないんですが、あえて言うなら、この「鉄壁」を崩すには、やはりバレーじゃありませんが、ブロック越しに打ち込む正面突破が無理なら、「フェイント」「時間差」「一人時間差」みたいな小手先のテクニックしか残ってないんじゃないかとは思います。

 ……
 以上の部分、日本時間午前9時すぎ放送の米ABCを寝起きで見ながら書いたんですが……。

高松宮妃喜久子さまご逝去 紀宮さま婚約内定の発表延期 【朝日】
 あまりにもタイミング悪すぎたかもしれません(苦笑)。
 モーニングチェックを米ABCから始めていると、フォローしきれない日本ローカルニュースが出てきてしまいます。いま見ても、英BBCでも伝えていないようですし……。

2004/12/15 これは戦争を意味する

 「捕虜になってもかまわない。捕虜になって、敵の飯を食い、監視兵をつけられれば、それだけでも敵の戦力を削ぐことになる。生きる見込みがある限り死ぬんじゃないぞ」(生前、旧軍上層部には耳障りな直言も辞さなかった海軍パイロットの部下への訓示あたりの挨拶)

 日曜日の朝日新聞(東京本社版)社会面、時と人をめぐる物語にスポットライトを当てるシリーズがありますが、先週12月12日付は「48時間 必ず助けに行くよ」という記事でした。
 Webに掲載されていないのが残念ですが、唯一「通報を受けてから48時間以内にこどもを目で見て確認する」ことを義務づけている埼玉県の児童相談所について取り上げていました。

 「通報を受けたら、先延ばししない。時間を区切ろう」
 人手不足にあえぐ福祉司にさらなる負担を強いるのか、と反対の声があがった。
 「じゃあ、このままこどもたちを見殺しにするのか」
 場が静まった。何時間にするか。そう畳みかけた。24時間では現場がもたない。72時間では、金曜日に通報を受けても月曜日まで放っておけることになる。
 結局、48時間に決まった。
 「時限を、と訴えたのは、ある部下の影響があったんですよ」
(中略)
 小宮さんが問いかけた。なぜ48時間なのか、と。
 「それはね、約束なんだよ」(中略)
 「どんなに厳しい状況にあっても48時間は生き延びてくれ。そしたら必ず行くからっていう、こどもとの約束なんだ」
 埼玉では今年、虐待で命を落としたこどもはいない。
(12月12日付朝日新聞社会面)

 名も知られぬまま奮闘した、ひとりの熱誠あふれる職員という、ミもフタもない言い方をすれば「プロジェクトX」式の書き方でしたが……そういう扱いでいいんですか?
 だいたい、目視確認を実行しているのが埼玉県だけというのも悲惨な状況です。
 「48時間は生き延びてくれ」というのは、それは現場にとっては限られた時間の中で判断を下し対処していかなければならない過酷な実態があっての話でしょう。しかし、これを読んでいて、まったく違う方面で同じことが言われていたのを連想しました。
 出典は忘れましたが、スパイ・工作員が敵の手に落ちたときに、仲間の居所をべらべら自白してしまうと、組織や犯行グループが根こそぎ検挙されて全滅する危険がある。だからといっていつまでも拷問に耐えるのは不可能だから、「48時間稼げ」という鉄則がある、という話です。最後はしゃべってしまうにしても、時間を稼げれば、その間に仲間が異変(定時連絡が途絶えたことなど)に気づいて潜伏場所を変えるなどの対策を講じることができるからだ、と説明されています。
 「現場で日々厳しい現実に向き合っている人」「立派に戦った最前線の兵隊さん」を必要もなく批判するつもりはまったくありませんが、相変わらず日本では「司令部」は戦略戦術のないまま、そして最前線にろくな支援もしないまま、全責任を最前線に負わせて悠々としている構図のままとしか思えません。
 ノモンハン事件でソ連軍を指揮して日本軍と戦った、ジューコフ元帥の評価。
 「日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である」

 “軍隊がなくなって”もうすぐ60年になりますが、問題は軍隊だけではなくて、「最前線は全力で奮闘するが、それを指揮・指導するはずの上層部が揃って無能・無策・無責任」という精神構造にあるとすれば、再軍備は論外のこと、それ以前に全システムが崩壊するのも時間の問題ではないかと指摘せざるをえません。
 ジューコフにボロカスに言われた日本の関東軍司令部は、切迫する情勢の中で「無能」な人間が、最前線の惨状を知ろうともせずに好き勝手にバカな間違いを連発します。ジューコフが評したのは「泣く子も黙る関東軍」の時代ですが、後に弱体化したままソ連参戦を迎える末期にも、やはり無能な人間が思い込みで判断を誤り、結果として多くの非戦闘員を含む日本人を見捨てて上層部だけとっとと逃げ出すという醜態を晒しています。
 これを、戦争という切羽詰った状況下で、化けの皮がはがれ、ゴテゴテの飾りと威信と勲章でごまかしていた頭の悪さが露呈した、と考えると、順風満帆のときはトップなど“お飾り”でも何とかなるものの、逆風のときこそリーダーの資質が問われる、という当たり前の真実に行き着きます。
 話が少し脱線しましたが、さて、殺戮と破壊を任務とする軍隊や、暗殺に代表される謀略に従事する工作員と、ほとんど同じような言葉を、この「平和主義の日本」で、よりにもよって子どもたちに向かって言わなければならないとは、何ということでしょうか。
 工作員は訓練を受け、死を覚悟した上で任務に臨むわけですから、その工作員に向かって「48時間は頑張れ」と命じるのは分かります。しかし、何の罪もない子どもたちに対して、工作員と同じことを求めるしかない現状、これはいったいどういうことでしょうか。
 しかも、この「48時間以内」でさえ、埼玉県だけだと報じています。逆にいえば、他の都道府県では、「約束」さえされていないことになります。
 再び戦争に戻りますが、太平洋戦争においてアメリカ軍が、とくに戦闘機パイロットの救出に力を入れたことはこれまでも取り上げてきました。
 零戦のエースとして知られた坂井三郎氏(故人)は、こう書いています。

 当時の敵国アメリカでは、わずか一機の洋上不時着機に対しても可能な限りの救出作戦を行った。飛行艇、水上飛行機、そして潜水艦と、一人のパイロットの命を救うために全力をかけた。
 この当然のことが、日本ではなされなかったし、考慮の外であったのは何という浅慮だろうか。我我は戦前、アメリカ軍は弱腰で酷しい戦闘には耐えられないなどと知らされていた。しかし、実際に私たちが戦った相手は、戦闘機も雷撃機も爆撃機もみんな極めて勇敢だった。祖国のためには命をかける気概が、日本人以上に彼らにはあると感じられる戦いもあり、そこには、どんなことがあっても、国家は自分たちを見捨てない、必ず救出に来てくれるという信頼感が、彼らの勇敢さの支えとなっていたことは間違いない。
(『零戦の真実』))

 子どもへの虐待はまぎれもない犯罪であり、「犯人」が存在します。虐待の犯人を憎み、処罰を求めてゆくのは当然のことです。
 しかし、全責任を犯人に負わせて、それで終わりにしていいのでしょうか。いかなる犯罪であっても、最悪の結末を迎える前に、食い止めようとするのが普通でしょう。まして、その性質上、比較的長期にわたって行わることの多い「虐待」については、その犯行が進行中のうちに、何とか食い止めるべく全力を尽くすのは、当然の責務です。
 繰り返しになりますが、「48時間」にしても、工作員に対するのと同じ要求を、子どもに向けなければならない悲惨さがあります。子どもたちは訓練を受けたプロではないのです。
 その上、他の都道府県で「48時間」の約束もないとなると、これはいつ救援が来るか分からないまま、「死守せよ」の命令だけでたたかった最前線の日本兵と、構図の点でどこが違うのでしょうか。
 日本軍では、救援依頼の無線連絡をすれば敵に傍受・察知されるからと、最前線から後方に支援を要請することさえ躊躇されたと歴史は教えています。現代の「子どもの虐待」においても、これは学校での「いじめ」でも同じですが、「救援」を求めることで、かえって「察知されて」状況を悪化させる危険があるのは、子どもには痛いほど分かっているでしょう。救援依頼は、その子にとって相当のリスクがある行動なのです。
 にも関わらず、その危険に脅えながらも勇気を振り絞って出したSOS信号に対して、「48時間待ってくれ」というのは、残酷ではないでしょうか。
 あるいは、「無関心の時代」と、とかく頭の悪い逆コースの守旧派に言われがちな現代において、「他人」の子どもに関心を払い、異常に気づいて通報してきた人の善意に対して、その程度でお茶を濁す「お上」のシステムでいいのでしょうか。
 確かに現実問題として、そこに携わる人たちの熱意だけではどうにもならない事情はあるでしょう。ですが、これでは、人質解放作戦であっても優先順位をつける軍事作戦と同じです。平時の救急救命や消防、警察捜査で、110番や119番で通報してきた相手に向かって、「いま混んでいるので、しばらくお待ちください、そのうち向かいますから」と言えるでしょうか。
 現場で日々携わっている人たちは、まさに最大限の努力をつづけているのでしょう。それなのに、なぜ軍事作戦のようになってしまい、救急や消防のように即時の対応が取れないのでしょうか。引用した記事に、その答えがはからずも露呈しています。「24時間では現場がもたない」
 それなら、なぜ現場が無理なく迅速に対応できるだけの人員を確保しないのか。……援軍も補給も送らず、ただ「死守せよ」と命令を打電して最前線に任せっきりだった日本軍の悪しき伝統が、「平和で豊かになった」現代の、それも子どもたちの生命を救うという任務についてさえ、亡霊のようにつきまとっているとしか思えません。それは、直接子どもと向き合う人たちではなく、ただ数字を見て数字をいじることだけに専念し、システムとして改善することに関心を払わない、そして自分たちだけは安全な場所で安穏としていられる「司令部」の責任です。
 もう一度ジューコフ元帥の言葉を繰り返します。
 「日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である」

2004/12/13 煌く星座

 西の空に日が沈み、空が暗くなってきて、一番星としてひときわ輝くのは、「宵の明星」金星です……。(一昔前のプラネタリウムでよくあった出だしあたりの挨拶)

 昨今はプラネタリウムもオート化が進んで、出来上がったプログラムが配信されてくる(各地の地方紙が国際面は共同通信の記事使っているようなイメージかしら?)そうですが、詳しくは知りません(笑)。
 「今週の明星」となると、話がまったく違う方向に突っ走るのでやめておきますが(笑)。……って、雑誌の「明星」より古い時代に持っていかなくてもいいような(苦笑)。

 そうそう、金星といえば……「硫酸の雨、高温高圧のイメージ」が思い浮かぶ方は、きっとテレビの「コスモス」(COSMOS)で育った、カール・セーガン博士(故人)の教え子ではないかと思います(笑)。
 ……あれ確かテレ朝だったと思いますけど、昔はテレビ朝日さんもちゃんとした番組やってたんですよね(笑)。古くは「NET」、すなわち“教育”を名乗っていたんですから、もうちょっとどうにかならないものかと……。紺野美沙子さんあたりはまだ頑張っておられるのかしら?(苦笑)

ふたご座流星群、13日夜ピークに 【朝日】
 冬の夜空を彩る「ふたご座流星群」が、13日夜にピークを迎える。東の空のふたご座付近の1点(放射点)から流星が飛び散るように見える。真夜中にはふたご座が空高く上り、14日明け方まで観測できる。条件がよい場所では、1時間あたり50個以上見ることができそうだ。
 流星群は、天体が放出したちりの粒の集団が地球に飛び込んで、大気との摩擦で光を放つ現象。今年は月明かりの邪魔もなく、数年に一度の好機という。
 国立天文台では、13日20〜22時の15分間ほどに流星が何個見えたかをインターネット上で報告してもらうキャンペーンを行う。 (12/13 02:59)

 いつだったか随分話題になった「しし座流星群」以来のような気もしますが、これまた一昔前の新聞記者なら決まって「天文ショー」と見出し打っちゃう話題ですね。で、日食や彗星のような目立つ話だと、つい「今世紀最大級」とうたってしまったり……やっぱりあれは世紀の残りが少ない時代だからできたのかもしれません(笑)。
 冗談はさておき、1時間に50個といっても「空全体で」の話ですから、一定方向を見ていると、期待するほどは見えないかもしれません。何よりもずーっと同じ姿勢で見ていると結構疲れますから、基本的には地面の平らなところで仰向けに寝転がって、空全体を見上げるのがいいと思います。
 ただ、身動きもせず横になってるものだから、通りがかった人が早とちりして「死体が転がってます!」と通報されたりすることもあるので要注意(実話らしい(笑))
 ああ、念のために言っておきますが、身動きしないで地べたに寝ていると、予想以上に寒さが身体の芯まで来るので、寒さ対策はお忘れなく。
 「例によって、君もしくは君のメンバーが捕らえられ、あるいは殺されても、当局は一切関知しないからそのつもりで」 ……いい加減しつこいですか?(笑)


>はるかさん (12/09)
> あさりよしとおさんのマンガ「るくるく」第三巻に電撃よけ(避雷針)の「日蓮くん」というグッズが出てきます。
> これは多分、その昔「龍ノ口」で殺されかかった日蓮さんのところに雷が落ちてきて助かったという有名な「龍ノ口の法難」シーンのパロディです。

 「建国の父」で、ベンジャミン・フランクリンさんとつながるのかしら?(おい)
 フランクリンさんといえば、日本ではどちらかというと「凧揚げで実証!」のイメージが強いかと思いますが、そういえば先日の「きょうの世界」で、タリバンの窮屈な支配から逃れたアフガニスタンで凧揚げの風習が復活という話が紹介されていて……。
 ……また「科学文化部」から「国際部」に移送されてしまうじゃないですか(笑)。

2004/12/11 新しい発火センをもって……

 話せば分かる!(そのまま暗殺されてしまう首相あたりの挨拶)


 Amazonで発注した「The 9/11 Commission Report」(9.11調査委員会報告書)が届きました。
『9/11調査委員会報告書』。大きさの比較のためにDVDを載せてみました
 ……予想以上に分厚い(笑)。
 冒頭から、「その時」航空管制や防空司令部の動きをリアルタイムで追っていて、拾い読みするだけでも一流の小説のように興味深いんですが、しかしこれは「演習にあらず」、現実に起こってしまったことです。


 『恋するアラブ人』『ジャズで踊ってリキュルで更けて―昭和不良伝 西条八十』『夜回り先生と夜眠れない子どもたち』読了。
 前著『夜回り先生』が、「感動の!」という触れこみで、そういうクレジットつけられると最初から読む気なくしてしまう性質なのでパスしていたんですが、たまたま先日のETV特集で出ていたのを見て、試しに読んでみようという気になったという迂回でした。
 前著のほうはまだ読んでいないので分かりませんが……これのどこを読んで感動するんですか??
 と書いてから、大急ぎで言っておかなければならないのは、基本的に疑いの目を持ってしまう私でも、著者の姿勢には真摯なものを感じたということです。著者に対してどうこうということではないんです。
 問題は内容ですが、その内容も著者ならではのしっかりしたものだと、そこまではおそらく世間の評価と同じだと思います。
 しかし、私には感動なんかできません。なぜかというと、これは「よくやってくれた! 感動した!!」と、情緒的にとらえて酔いしれてすませていいような本じゃないはずです。怒りの告発であるとしか読めないんです。
 「水戸黄門」や『必殺仕掛人』ではないんです。崖の上でお話会やったら善悪両方の事情が分かって、悪人の側にも事情があったんだなぁで決着がつく、それで今夜はゆっくり眠れる、そういう「おとぎ話」ではないんです。

 まったく見ず知らずの子どもに声をかけるというのは、昨今では犯罪者と間違われる危険性も高いですし、それだけの基礎訓練を受けていないで安易にボランティア気取りでやれるかどうかの問題もありますから、そこまでやるべきだとは言いません。
 しかし、少なくとも身近に子どもがいる、親であるとか教師であるといった人が、この本を読んで「感動した!」で済ませているとすれば、救いようがないと評すほかありません。
 それでは、「国境なき医師団」が紛争地域で活動しているのをテレビで見て、「大変なのにすごいなあ、感動だね」と言って終わる、他人事で片づける処理と何ら変わりません。
 そこにあるのは、こういった子どもの問題に関して最大の障害とも言える思考停止ワード「うちの子に限って」です。この思考停止がもたらした惨害……。それこそ、「惨害の及ぶところ、まことに測るべからざるに至る」と言っても過言ではないでしょう。

 繰り返しますが、こういった問題に、善意のボランティアとして気軽に参加できるかというと、おそらく答えは「ノー」です。
 著者が、非常に淡々と、事実と要点のみを中心に書いているために、「頑張れば自分にもできるかもしれない」と思われる心優しい人がいるかもしれませんが、よく読めば専門的知識と経験の積み重ねが背景にあることに気づくはずです。残念ながら、優しさや同情、あるいは正義感だけで取り組める問題ではありません。
 シロウトがいくら善意からとはいえ、技術の裏打ちなしに手を突っ込むと、かえってそのケースの解決を妨げる危険があります。いままで子どもと接したことのない人が、感動のままに真似したいと思ったら、その思いは正しくとも、どんな結果を招くか分かりません。
 しかし、親や教師というのはそこも含めての「専門職」のはずです。もちろん、一般化して、あらゆるケースに対応できるわけではないでしょう。どこでも突然声をかけていけるのは、「夜回り先生」がプロフェッショナルだからです。
 ただ、「親」の場合はとくにそうですが、一般的な知識によって、あらゆるケースに対応する必要はないのです。目の前の子どもについての専門家であればそれで必要十分なはずです。
 他所様の極端な例を見て、そこで「うちはあんなことにならなくて良かったわね」で済ませていたら大間違いです。「あんなこと」になる可能性はありえない、と感情的に否定するのは簡単で気楽でしょうが、本当にそうかと考えてみる必要があるでしょう。そして、場当たり的に、とってつけた知識で「薬物は怖いんだぞ」と脅したり、あるいは突然「最近どうだ」なんて無理な会話を作ってみたりしても、底の浅さは容易にばれます
 そうではなくて、極端な例に見えても、それは一瞬の爆撃で一夜にしてそうなったわけではない、長い間の積み重ねによって作られたのだということを考えて、些細に見えても子どもに対して似たようなミステイクをしてこなかったかどうか、子どもとの距離は現在どういう状況にあるか、反省のきっかけにすべきです。その上で、まさに著者が書いているように、「昨日までのことはいい」と肯定していくところから始める必要があるでしょう。

 それにしても、あまりに大人の側が酷すぎる話が多い、というのが正直な実感です。
 子どもたちを明日が見えない状況に追い込んでおいて、限界を超えた特殊例だけを斬り捨てていくのでは、それは壊れてしまうケースが多くて当たり前だと思わされます。  個人的には、いま悩み苦しんでいる人に向かって、「いつか優しい大人が現れるから」と言うだけの自信を、持ち合わせておりません
 希望を持ちたい・でも何もしない大人には残酷な言い方になりますが、「そういう憎むべき大人が、いつまでも安穏と生きながらえるとは限らない、明日はバグダッド同様どこかの空爆を受けて、ダメな大人を皆殺しにしてくれるかもしれない。いま受けている苦難も、戦火によってすべて取り除かれるかもしれない。だから、いま悩んでいる人があわてて死に急ぐ必要なんかないんです」とでも言うしかありません。
 おそらく、悩んでいる真っ最中は、身の回りの少数の人間しか目に入らなくて、その結果絶望に陥れられてゆくんだと思います。家族にも教師にも恵まれないと、救いの手が来ると思えなくなって、すべての希望を失ってしまう。そういったときに、ちゃんと面と向かってたたかっている人はともかく、一般論として「明日は他の出会いがあるかもしれませんから」と気安く言う気にはなれません
 むしろ、明日には大虐殺が起きてくれるかもしれない、その時はいま苦しんでいる人たちがより良いシステムを作り出してほしい、と言うほうが、少なくとも良心には反しないですみます。
 こんなことをいうと、穏健かつ無能な大人には「革命期待論」と受け止められるかもしれませんが、それならそれでも結構です。暴力による革命があらゆる問題を解決する手段になるという“信仰”はまったく持っていませんが、大人の側には、流血革命に匹敵する大変革が必要だという覚悟は必要でしょう。実際に血を流すかどうかはともかく、それと同じぐらいの痛みを伴う、精神構造の根本からの再構築が「大人」のなすべき責務です。
 そして、誤解を恐れずあえて革命という言葉を使ったのは、悩んでいる当事者に対して、一般論として見せる「希望」が、それぐらい大きなものでなければおそらく救いのメッセージにならないだろうと思われるからです。
 言い換えれば、穏健に「今後10年計画で変えていきますから」では、とてもじゃないけれど現在苦痛に耐えている人たちにとっての「希望」にはなりそうもない。いま生命を棄てるかどうかの瀬戸際にまで追い込まれている人に、個別ケースの相談ならいざ知らず、一般論として「そのうち良くなりますから頑張って」などと言い放てるだけの無神経さは、持ち合わせていません。
 もちろん、その手前で、精神科医やカウンセラーの適切な処置を受けることができれば、それに越したことはありませんし、もしそういう機会が残されているなら、ためらうことなく信頼できる大人に相談して欲しいと思います。それがベストの解決につながることに異存はありません。
 しかし、それさえも難しいケースは少なくありません。そのときに、顔も知らない第三者として、どんな言葉を書くことができるかというと、構造そのものがひっくり返るかもしれない、という希望ぐらいしか見当たらないのです。
 過激だというなら、それで結構です。しかし、少なくとも、これを読んだいい大人が、「いい話だった! 感動した!!」で済ませていたら、そんな他人事モードのままでは、いつまで経っても状況の悪化を食い止めることはできないのは明らかです。そんな体のいい死刑宣告にも等しい「諦めろ」の言い換えを、仮にも書く気にはなりません。


恥じらいなき社員の職場破壊 成果主義のストレス 【週刊朝日・AERAから】
分かり合う感覚崩壊
 金子教授はこう話す。
 「終身雇用が保障されていた時代には、異動まで我慢していれば済んだが、今は自分の悪評をあからさまに言われると、給与や昇進に反映されかねない」
 だから、過敏にもなってくる。
 製薬会社のミキさん(30)は同僚の女性がうっとうしくてたまらない。自分の担当でない仕事にもすぐ割り込む。打ち合わせ中に突然、「それはですねえ」と言って自説を講釈する。ときには「じゃあ、これは私がやります」と、仕事の横取りまでしてしまう。
 関西の保健所に勤めるユカさん(45)は、20代の男性の部下の態度が鼻につく。仕事を覚えて脂が乗ったころではあるが、先輩たちを差し置いて何でも仕切ってしまう。
 「人は誰しも失敗をする。謙虚になれない人は信用できません。自分が周囲にどう見られているかさえ、分かっていないのですから」
 前出の佐藤氏はこう指摘する。
 「日本の社会が基礎としてきた『お互いの気持ちを分かり合う』という感覚が壊れつつある。気持ちが分かるはずなのに無視する『わがまま』とは違い、気持ちを理解できないという局面が目立ってきている。その背景は、経済が豊かになったことに尽きる」
 従来、人々が連携してきたのは「飢え」への恐怖だった。一緒にならないと食いっぱぐれるという恐れ。一人でも何とかなると思えば、相手の気持ちを分かる必要性は薄くなる、というわけだ。
 「本格的な飢えを経験した最後の世代は昭和ヒトケタ生まれ。その子ども世代は、飢えの体験はないが、親から貧乏への恐怖を植え付けられた。だが、団塊ジュニア世代に象徴される今の若者たちには、それもない」
 自己責任、個人主義の時代――。恥じらいのない人が増えるだけでなく、何を「恥じらい」とするかという価値観さえ揺らいでいきそうだ。
 (文中カタカナ名は仮名)  (AERA:2004年12月6日号)

 はぁ……。
 だんだんどうでもいいような気分になってきますね。スーダン・ダルフールなら、国際社会として問題に取り組まなければなりませんが、極東の島国の中で勝手にやりあって勝手に傷ついて勝手に満足してるのにまでお付き合いできるほど、国際社会は暇じゃないでしょうし。
 この記事は、「結局何考えてるのか分からない」ことが根底にあると仮定して、取り立てて問題視していますが、実は、それこそが幻想だということを最終段落で自白しています。
 問題を混同してほしくないんですが、成果主義だからといって、「横取り」「文書偽造」が許されるはずはありません。むしろ、成果主義だからこそ、そこで他人の成果を横取りするような人間は、「和」なんてハンパな話ではなくて、システムに弓引く謀反として、征伐誅滅されシステムから排除されるのが当然です。そこを、「恥じらい」なんて言葉でごまかすから、いつまで経っても進歩できないんです。

 昨日放送の米PBS「ジム・レーラー ニューズアワー」で、例の「IBMのPC事業を中国企業が買収」という話題を取り上げていましたが、この話に通じるゲストのコメントがありました。
「文化的摩擦については、アメリカと中国の企業の買収や合併は、日米の場合よりも小さいでしょう。アメリカと中国は文化面で似通っています。」
(参照:「Cultural Evolution」)
 市場経済移行!の掛け声があるとはいえ社会主義を掲げ、言語でも非英語の中国のほうがマシだというんですから、日本の「会社人」がとくべつ異世界の住人に見えているようですが、このAERAの記事を読むと、なんとなく分かるようです。
 で、非常に不思議なのは、「気持ちを分かり合う」というのが、なぜ「感覚」なのか、この点が不明瞭であることです。感覚が共有できないなら、「分かり合う」ことができないと思っているなら、どうぞ一生島流しよろしく極東にひきこもっていてください。中で不平不満があっても、それは内側で何があろうと知ったことではありません。
 善悪や賛否はともかくとして、押し留めることのできない流れとして、グローバル化は進んでいるわけです。いわゆる単一民族のなかで「感覚」で伝承されてきた「恥じらい」が揺らぐのは“原住民”の都合に過ぎませんが、それよりも海外から人も来る、資本も来るという時代、いくら日本語を学んできたとしても、「気持ちを分かり合う」ことまで外から来た人に求めるのは無理です。
 なぜ、それを「感覚」で、つまり暗黙のうちにやる必要があるのでしょうか。話せば分かるかもしれないという可能性を、なぜ最初から捨ててかかるのでしょうか。話して通じなければ価値観が違うわけで、それがルールに違反してシステムに損害を与えるなら、システムとしてその人間を排除すればいいだけの話です。「ルール違反」とまで言えなくても業務に支障がありうるなら、プロトコルを作って守るように合意する、それだけで解決できる話ではないのですか。小学校で子ども同士がクラスメイトの品定めしてるのとは訳が違うんですから、「感覚」で話をしている場合ではないでしょう。

 子どもは大人社会の「写し絵」だといわれます。あるいは、大人社会の弊害が濃縮されて行き着く最終処分場のようなものだとも。
 問題点が次々浮き彫りになって、臨界点を超えれば、そのシステムがいかに硬く作られていても破綻を免れないことは、世界史を見れば容易に分かることです。そのシステムの下で生きる当事者にとっては「長く苦しい日々」でしょうが、長いスパンで見る世界史の視点からは、崩壊は必然として理解されます。
 いま、日本で「価値観がゆらいでいる」のは、好むと好まざるとに関わらず、当たり前のことです。「フリー・フェア・グローバル」の掛け声をかけた人は気づいていなかったかもしれませんが、この3つだけとっても、旧来型の価値観と正面衝突する部分は多いのですから。そう都合のいいところだけ「開放」して済ませようというわけにはいかないのは、これまた数多の例を世界史が教えています。
 しかし、どんな激動に遭っても生きながらえていく大人と違って、目下成長の途上にある子どもたちは、それだけの適応力をもっていません。よく子どものほうが適応能力に優れていると言われますが、それは「想像力」についてと同様、大人の側の羨望混じりの希望的観測に過ぎません。
 しかも、子どもをいきなり引き離して育てるならともかく、側にいるのは旧来型の家族のままで、旧来型の社会の中に置いておきながら、子どものほうが柔軟に対応できるなどと考えるのは土台無理な話です。
 あの「9.11同時多発テロ」の直後、米ABCが子どもたちを集めて討論する特別番組を放送、そこで「どうしてアメリカがこんなに憎まれるの?」という子どもの疑問に、ピーター・ジェニングスさんも含め大人は一言も返せなかったというエピソードがありました。何となく分かった気になりやすい大人よりも、真実に迫りやすい子どもの特性と見ることもできるでしょうが、裏を返せば、事態の急変に対応しにくい、問題を切り離しにくいことの現れでもあります。
 大人は、「オサマ・ビン・ラディンは……」「イスラム過激派は……」といちおうの説明をつけて、とりあえず納得した気分になって、自分の生活と切り離して熟睡できるだけの適応能力があります。そこのごまかし・逃避の可否は別として、ともかくも切り離して逃げることができますが、子どもの場合はそうはいかないのです。
 ここで、子どもは純真無垢だと賞賛するわけではありません。むしろ、子どものほうが「適応しにくい」という弱点を抱えており、成長の過程でいろいろな学習や体験を通じて、その弱点を克服してゆくと見るのです。
 適応は妥協とは違います。ただひとつの価値観にとらわれ、そのためなら自他の生命をも顧みないなどというのは、それこそ子どもにもできることは、多くの「残虐・野蛮な」社会において、「少年兵」を多用していることでも分かるでしょう。相手にも理があるかもしれない、敵にも自分のような家族がいるかもしれないといった想像力は、成長の過程で身につけてゆくものであって、「純真な」子どもに生まれながら備わっているものではないのです。そのときに、上意下達を絶対のものとして、あるいは自爆テロを至上のものとして、他の価値観はすべて敵だと教え込んでゆくか、多様性を認めるようにはぐくんでゆくかは、その子の近くにいるごく少数の大人によって決まります。
 まして、大人の側が大きく揺れ、そもそも教えるべき価値観にさえ自信が持てない状況では、それでは子どもたちは何を信じていいのか戸惑うに決まっています。自分で信じていないことを他人に信じ込ませようとしていたと聞けば、KGBの元スパイを笑いたくもなるでしょうが、では現代日本で、確信を持って違うと言い切れる人がどれだけいるでしょうか。
 きちんと子どもに向き合っているという前提をつけても、向き合っている大人の内心が揺らげばこれだけの危さがあります。この上、ネグレクトに近い無関心が加わったら、それは壊れるほうがむしろ自然だと言いたくなります。
 少子化の進行を問題視する意見はあふれています。しかし、生まれてきた子どもを放置して不幸に追いやることしかできないなら、むしろ「生まない」という決断をするほうが、賢明であり人道的であるとさえ言えるでしょう。テロリストや兵士にするために「産めよ殖やせよ」というのを論外とするならば、子どもには幸福になってほしいと願うのが普通でしょうし、そう思えないなら「やめておく」選択もあるはずです。
 いま目の前にいる子どもを幸せにすることもできず、救済するシステムも作れずにいて、そこから目をそらすかのように「少子化!」「少年犯罪増加!」とわめく人たちに対しては、人間性を疑うほかありません。彼らにとっては、所詮子どもなど数合わせの話、帳簿の上で裏金を計算するのと同レベルの話に過ぎないのでしょう。
 儒学では、学問を人格形成の重大な要素と見ます。現代でも「生まれ」による差別があるなかで、本人が学問を身につけさえすれば無限の可能性がある、そしてそのチャンスは生きている限りいつでもありうるとしたのは、価値観について革命的な出来事だったと言えるでしょう。その儒学の究極の目標は、ひとりひとりの人が生まれてきて良かったと思える社会の構築です。そのために何をすべきか、あるいは何をしてはならないか、念仏ではなくて現実の場面での対処マニュアルとして作られたのが儒学の道徳です。
 ですから、確かに儒学ではさまざまな手順を規定していますが、手順は理想の実現のためのものにすぎません。あくまで最終目標の「人間らしい幸福」のために、では具体的にはどうすべきかと規定しただけです。
 こう考えると、現代日本で「価値観が揺らぐ」と慌てているのは、表層の部分、「手順」のレベルの問題だということもできます。究極的な根幹として「人間らしい幸福」を規定するなら、その根幹を守るためにどうすべきか、新しい手順を作ればいいだけです。
 問題は、いちばん大事なはずの根幹の部分について、再確認の作業を怠っていることです。たまたま百年ぐらい続いただけの手順にこだわって、肝心要の幸福追求の理念を見失っているのではないでしょうか。
 国境を越えるグローバリズムのなかで、幸福追求を忘れた社会が取り残されるのは当然の結果です。そこに同情の余地はありません。個人を幸福にできない社会が滅びないほうが理に合わないのですから。
 悩み、苦痛、不満、不安、そういったものを、「分かってもらえるだろう」と思い込んできたのが、そもそも奇跡に近い偶然だったのです。気づいてもらえないなら、表に出して、言葉に出してゆく。分かってもらえないなら、分かってもらうまで話し合うか、そんな人はとっとと見捨てて、分かってくれる人のところに行く。分かろうとさえ思わない人はそのまま亡ぶ運命にあるのですから、何も道連れにされる必要はないのです。
 人間が持っている強力な武器は言葉です。言語化の訓練を軽んじる教育の問題もありますが、それは別に論じるべき問題としても、せっかく持っている言葉という武器を有効に利用しない手はありません。

2004/12/10 マリコは病気だ

 ♪「着信アリ」って気づいていたのにまた出れなかった♭ (別の方向で頷いてしまうOP歌詞あたりの挨拶)

 ウチの場合、着信メロディとそのときの気分と相手の問題なので、対策としては緊急・最重要・最高機密の相手にはアップテンポで嫌でも叩き起こされるメロディ(例:「The A-Team」)を設定しています。比較的後回しでいい相手や登録されていない番号には、無理に起きるほどでもなく、でも起きていたら気づく程度のメロディ、というような使い分けです。
 ……「優先度・低」の着信メロディを「希望の明日へ」(「あすを読む」テーマ曲)にしてるのが問題なのかしら(←そこ違うと思う)。目覚ましは「ABC NEWS」で、これはいまのところ一発で起きるんですけど(笑)。
 めったに使われない「ニュースチャイム」はNHKのサイトでも見当たりませんでした。共同通信の「配信前チャイム」も、着信メロディサイト探しても見当たらないですね(当たり前か)
 というか、「ABC WORLD NEWS TONIGHT」(NHK BS1/日本時間09:30放送)を見て寝る、という生活に多少難アリのような気もしますが……「PBS NEWSHOUR」(NHK BS1/日本時間14:15放送)を見てから寝る生活リズムにすれば別かというと、そういう問題でもなさそうな(苦笑)。
 ……ホントにここんとこ、アニメ以外で地上波見てないような気が(笑)。

 昨夜放送の「きょうの世界」では、「フランスワインを守れ」の話題を伝えていました。
 なんでも、「お酒のテレビCM全面禁止」「飲酒運転厳罰化」で、ワインがとくに落ち込んでいるそうで……。
 「昔は平均1週間に2リットル飲んでいたのが、昨年の調査では1リットルに減少しています」……えっ、結構な量じゃないですか(笑)。
 新世界ワインが増加していて押され気味だという悲鳴も伝えながら、借金を抱えながらも伝統の品質を守るワイン醸造屋さんの話も伝えていました。
 新世界ワイン、チリやオーストラリア、アルゼンチンなどは、確かに物価の差もあっていいものが安くなっているので脅威だろうと思います。実際私も、年末年始のお楽しみに用意してるのはチリのスパークリングと、ドイツ、イタリアですし(笑)。

 わたしはニューヨークのすべての民族レストラン巡りを目標にした。それほど腹いっぱいには食べなかったかわりに、世界のあらゆる料理に通じた。わたしは「代表」国[国連加盟国]の数に相当する八十軒のレストランを回った。料理上手の中華とイタリアのレストランが一番魅力的だった。
(『KGBの世界都市ガイド』)

 国連公用語(英語・フランス語・ロシア語・中国語・スペイン語・アラビア語)の6大文化圏だけでも大変な気がします(笑)。
 もっとも、「ロシア料理」というと随分アバウトな話で、アメリカ同様「寄り合い所帯」です。
 前に東京のロシア料理屋さんで、ワイン・リストを見たらグルジアワインについて「国際情勢によって品切れになる場合があります」と書いてあったのにはちょっと涙を誘いましたが……。
 アラビア語圏となると、さらに地域が拡大してしまいます。「クスクス」とか「ターメイヤ」あたりはメジャーどころかと思いますが。
 などなど、言われて振り返ってみれば、スペインとロシアはまだまだ勉強不足だという感じがします。
 って、別に国連本部に勤務しているわけではないので、この物価の高い東京で張り合う必要性はまったくないんですけど(笑)。だいたい国連加盟国が、当時より増えてるんですから、圧倒的に不利ですし(笑)。
 ただ、よく外国に留学や駐在で行く人にアドバイスとして言われるのは、基本的には現地の食文化に慣れるのが一番だけれど、時に変化や郷愁を求めたいこともあるだろう、そういうときはイタリアか中華なら、価格もリーズナブルだし変なアレンジもされていないから安心だ、ということで、それは当たっていると思います。
 とくに日本人にとっては、中華はホームシックのときにはいいらしいですよ。……そもそも郷愁を感じるようなことがないので、いまひとつ断言できかねますが(苦笑)。

2004/12/09 日本は年末に対米開戦するだろう

 最も正しき戦争よりも、最も不正なる平和を取ろう。(最後は暗殺される古代の雄弁家あたりの挨拶)

 昨日(日本時間12月8日)は、かの太平洋戦争開戦の日だったわけですが、「昭和は遠く……」なのか、あまり目立った取り上げ方はされてなかったようです。
 ABCはニュースの一項目として、パールハーバーの式典を取り上げていましたが、現在ただいま泥沼の戦争に入っている中で、扱いが難しいのかもしれません。
 パールハーバーについて、常に取り上げられる問題は、
(1)ワシントンでの通告の遅れによる「だまし討ち」
(2)奇襲の成功にも関わらず大きな効果を挙げられなかった
の2点に集約されます。
 (1)のバリエーションとして、「アメリカは暗号解読で先に読んでいたはず」が出てきますし、(2)については「なぜ港湾施設を叩いて再起不能にしておかなかったか」という問題が出てきます。
 それぞれさまざまな憶測や推測がなされるところですが、(2)についてひとつ言えるのは、まさにその内容です。「見かけばかり大きい戦艦よりも、給油タンクなどの後方支援施設を徹底的に破壊していれば、米海軍がミッドウェーまでに立ち直ることはできなかったはずだ」
 歴史にifはないということを徹底的に教えてくれる戦略的戦術的ミスですが、現代に立ち返って考えてみると、攻撃に直接使用される戦艦よりも、一見地味な後方支援システムのほうが、のちの戦争に大きく響いてくることを教えています。
 戦艦や空母は確かに直接前線に出てきますから、城攻めの「本丸」のように敵視しがちですが、どんな頑丈な城でも、補給が断たれれば落ちる。洋上のたたかいであれば港湾施設、空のたたかいであれば飛行場、そういった基地を確保しなければ勝ち目がないのは明らかです。
 しかもそれは一度作れば済むのではなく、常に使えるように整備し人を配置してメンテナンスしておかなければならず、当然そこに物資を送り、いつでも連絡が取れる状態を維持しなければなりません。それを最後までまったく認識しなかった、できなかったのが「帝国日本」の敗因のひとつだと言えますし、それは開戦当日から明白になっていたとも言えるでしょう。
 太平洋戦争が「石油にはじまり石油に終わった」せいもあって、とかく補給といえば燃料と弾薬だけのイメージが、戦争を知らない世代の甘っちょろい論評の裏に見受けられますが、人が動く以上水と食料がなければお話になりません。
 先週辞任したアメリカのトンプソン厚生長官は、「テロリストが食料を標的にしていないのが不思議なぐらいだ」と警鐘を鳴らしています。牛乳にせよ農産物にせよ、流通の過程にテロリストが潜り込んで一服盛れば、流通に依存した消費社会では致命的な一撃になるのは目に見えています。
 日本でも先日、販売されているミネラルウォーターが「信じられない」数の大腸菌で汚染されていたという報道がありました。
 明治以来の刑法でさえ、「水道毒物混入および同致死罪」を作って厳罰を用意していることからも分かるように、ひとたび実行されれば恐ろしい被害が生じることは容易に想像されるところです。その恐怖「感覚」が、関東大震災直後に、時代の空気に乗って根も葉もない噂から動きだしたときに、虐殺を惹き起こしたこともご存知のとおりです。
 「息の根を止められる」という表現がありますが、水や食料といったライフラインは、直訳のとおり「生命線」であって、これを断たれれば、軍隊も民間人も揃って討ち死にするほかありません。
 「悪魔の飽食」731部隊が、本来業務の「細菌戦」については、さしたる実績も上げられなかったのに、関東軍の庇護のもと悠々と実験にとりくめたのは、“副業”の防疫が評価されたからだという説があります。実際に731部隊は、防疫給水として「きれいな水」を前線に送り届けています。

米兵が米国防長官に苦情、イラクでの装備不足で 【ロイター /goo】
更新日時 : 2004年12月09日(木)12:22
 [CAMP BUEHRING(クウェート) 8日 ロイター] クウェートの米軍キャンプを訪問したラムズフェルド国防長官に8日、米兵からイラクでの軍事行動に十分な装備が支給されていないなどの苦情が出された。
 ある兵士が、イラクに派遣される部隊は装備不足で、車両を強化するため、廃品場から、使えそうな金属や防弾ガラスなどを掘り出さなくてはならないことを訴え、出席した数百人の兵士から喝采を浴びた。
 しかし、同長官は、現在ある武器で戦わなければならないとし、あらゆる装備や武器で強化した戦車や軍事車両でも破壊をまぬがれることない、などと答えた。
 同長官はこれ以外にも、装備不足の問題や、来年1月予定のイラク選挙後の米国の役割などについて、質問を受けた。

 米ABCは、イラクの各地で、急ごしらえの「車体整備工場」が作られて、ほとんど防弾能力のない車両に、そこらで拾ってきた鉄板を溶接して運転する兵士を守っているとリポートしています。
 それにしても、ラムズフェルド長官にして、「現在ある武器で戦わなければならない」とは、いったいどういう戦争なんでしょうか。
 行き詰まる戦局の中で、まるで日本軍のようなことを言う国防長官だと言ったら、アメリカからそこまで侮辱される覚えはないと抗議が来るでしょうか。
 さて、ボロボロになって戻ってきた車両の穴を塞ぎ、乗員の生命を守るために鉄板を溶接するという作業、そこだけ切り取れば「人道支援」だなんてバカなことを言いだす平和ボケも多そうですが、攻撃する側がそんな理屈を認めるはずがありません。古い日本語でいえば「利敵行為」そのものなんですから。
 我が国の刑法でも、刑法82条できちんと規定があります。

第82条(外患援助)
 日本国に対して外国から武力の行使があったときに、これに加担して、その軍務に服し、その他これに軍事上の利益を与えた者は、死刑又は無期若しくは二年以上の懲役に処する。

 その場合に、すでに決着がついてしまった非戦闘地域なら刑法の訴追を免れるとか、戦闘員ではなくて、非戦闘員としての行為なら減軽されるといった項目は、どこを探しても見当たりません。
 完全に占領され、やむなく従った場合に緊急避難として許されることはあるかもしれませんが、自由な意思で加担すれば間違いなく処罰の対象になります。
 この点、被害妄想的に、日本本土を「やられる」ことばかり考えていればいいなら、おめでたい話です。
 改めて言うまでもないことですが、「人道支援」というなら、それは自己満足では成り立ちません。支援を受ける人のためにやるから人道支援であって、他に利益や利権を求めるなら、単なる商売です。
 だとすれば、こっちは「支援」しているつもりでも、相手から見て「外国から武力の行使」に「加担して」いるのではないか、イメージをいつも切り替えて見直すだけの視野の広さが求められるはずです。
 そこを素通りしてカッコだけつけているなら、それは「兵站」も知らない平和ボケのタワゴトといわなければなりません。

 「北朝鮮」問題がまたも日本語メディアでは大きく取り上げられています。
 どうしても、「主席がどこどこ工場を視察」をトップに持ってきちゃうメディアと、ローカルニュース中心という点ではあまり違いを見出せないという感覚がありますが……。
 こういう場合に、被害者の家族が、憤りや憎しみを訴えることは、ごく自然な人情として受け容れられるところですが、問題はその悲痛な叫びに乗じて、いわば利用しようとする卑劣な連中です。
 とくに、軍事攻撃などというプランは、軽々しく口にすべきものではありません。繰り返しますが、被害者当事者やその家族なら、たとえば大韓航空機撃墜事件の際に、目と鼻の先で撃墜したソ連軍に一矢報いたいと思うのはまだ感情として理解できないことはないのですが、そうではないただの“観客”が、ことさら煽るように発言するのは不見識極まりないと言わなければなりません。
 「経済制裁」も、取り得る手段としては、可能性としてはゼロではないでしょう。しかし、実効性があるのかどうか、かえって追い詰めて破局を招くことにならないか、そういった「落としどころ」、最終目標達成までの利害得失を全部計算に入れるのが「政治」であって、一時の感情ではやし立てるのは、子どものケンカにも劣る行為です。
 経済制裁によって、「憎みて余りあるカタキ」の指導部を、外科手術のようにきれいに取り除ける見込みが本当にあるのか、極めて疑問です。
 多くの独裁システムが、大衆の不満と不安を背景に生まれ維持されることを考えると、経済制裁を行えば日本が純然たる「仮想敵」と見られるようになって、かえって独裁体制の維持を手助けすることになるのではないでしょうか。食糧がなくなれば暴動が起きて政権がひっくり返る、そう簡単に話が進むならまことに結構、簡単便利な案ですが、本当に実現できるのかどうかは慎重に検討する必要があります。
 軍事的に検討してみれば、というよりもシロウトでも分かりそうなものですが、北朝鮮への軍事攻撃は、プランとしてほとんど成り立つ見込みがありません。
 イラク攻撃においては、海からの上陸作戦、近海の空母からの航空作戦、イギリスの基地からの長距離爆撃、こういったものをフルに活用しています。それでも、トルコの基地使用をめぐってギリギリまでもめたのは記憶に新しいところです。
 いま仮に思考実験として、北朝鮮の指導部を、「イラク戦争」式に抹殺するための軍事作戦を考えてみると、日米のみでは不可能で、国境を接する韓国・中国の参加ないしは支援、最低でも「黙認」は得なければ成り立ちません。また、南北の「停戦」には国連が入っており、現に38度線では国連が停戦監視活動を行っていますから、こちらの許可も取らなければなりません。
 中国が中立を守ってくれるとしても、それだけでは足りず、北で接している国境を封鎖してもらわないと作戦にならないのは容易に想像がつくでしょう。
 空軍力も海軍力もほとんどゼロ、陸上も戦力と呼べるような軍事力があるとは思えませんが、しかし侵攻作戦となれば、攻め込む側は圧倒的な戦力を必要とします。
 南北の国境線からの侵攻作戦が可能かどうかは、韓国の意向ひとつで決まりますが、ここを開いてしまうと作戦正面が広すぎるという問題が生じます。どこか一ヶ所から攻め込むのは容易でしょうが、国境線の他の地点から“難民”やら“抵抗勢力”がなだれこんできたらどうするか。地図で見れば分かるように、北の中国に行くか、南の韓国に行くか、逃げ道は二つに一つしかありません。
 戦火から逃れてきた難民をどう処理するかも問題ですし、難民に見せかけたテロリストが出たり入ったりする危険もありますから、国境線をいかにコントロールするかが大きな課題になります。
 情の赴くままに、簡単に武力でもって難民もろとも殲滅すればいいと考えているなら、スーダン・ダルフールと同じ発想で、下策も極まれりと言うほかありません。
 占領を目的としない、いわば「懲らしめ」的な、限定された空爆というのもあるでしょう。しかし、これとて、政権の「除去」につながるかどうか、ちゃんとしたシナリオを考えておく必要があります。
 イラクにおいて、湾岸戦争(1991年)時に、アメリカは「サダム・フセイン抜きのフセイン政権維持」を望んだフシがあります。南部でシーア派が反政府暴動を起こし、クルド人が独立を訴えて動いたときに、近くにいたアメリカ軍は見殺しにしています。本当にイラクの指導体制が全部転覆してしまって、国境がばらけてしまうと収拾がつかなくなる事態を危惧したのではないかと見られていますが、いま2003年のイラク戦争後に起きている状況は、指導部を根こそぎ掃討しても混乱の収拾につながらないことを示しています。
 湾岸戦争以後イラク戦争までの時期、アメリカは国連安保理決議をたくみに利用して、イラク国内に飛行制限区域を勝手に区切り、戦闘機によるパトロールも行っています。「限定的な」攻撃もやっています。それでも、サダム・フセイン政権は生き残り、全面戦争によって排除されるまで続きました。しかも、サダム・フセインを取り除いた後がご覧の有様です。
 北朝鮮に、民主政権ができるなら、それはたいへん結構なことですが、現実性がなければ単なる妄想に過ぎません。そして、妄想を抱くだけなら自由ですが、その妄想を外に表明してしまうと、それによって起きた結果に対して責任を負わねばなりません。
 危険な地域に行った人をけなして、自己責任だなんだと人格攻撃までやっている人たちが、自らの言動がもたらす結果についての自己責任ということを考えもしないのは、もはや不可思議の極みとしか評しようがありません。

 ところで、北朝鮮を擁護する必要も意図もまったくありませんが、今回の報道を見ていると、「巧妙な手口でウソ」といえるかどうか、純粋に疑問を感じました。
 というのは、この期に及んで「ウソ」をついたところで、大した時間を稼げるわけでもありません。DNA鑑定が行われ、ウソがばれるのが時間の問題であることは分かっていたはずですし、そうなれば情勢がより不利になるのも予想できたはずです。
 では、何のためにそんな分かりやすいウソをついたのか。その点にこそ、政権の戦略を分析する視点が求められるのではないでしょうか。「あいつらは嘘つきだ、やっつけろ」というのは簡単ですが、それだけなら子どもでもできます。
 北朝鮮の政権指導部が何を求めているのか、情報が少なすぎて見えにくいことは否定できません。
 あえて推測するとすれば、
(a)足元が崩れそうなので、あえて目に見える外敵を作ることで危機を回避したい
(b)すでに「真実」がなんだか誰も分からなくなっている
の2つの可能性ぐらいは、ちょっと世界史を見たことのある人間なら、すぐに思いつきます。
 (a)は、困窮した国内情勢を抱えた独裁者がよくやるパターンで、外に目を向けさせることで内政をごまかすものです。ただし根こそぎやられてしまうことは望まないわけですから、致命的な敵にケンカは売らないでしょう。その点では、軍事的侵略をやりかねないアメリカに対しては、「核のカード」で不可侵条約を求めてゆく一方で、日本の経済制裁ぐらいなら国内事情に逆用できると踏んだ可能性は考えられます。
 (b)は、場当たり的に言っていることから、猟奇的殺人鬼の供述ではよくあることですが、すでに真実がどうだったか誰も分からなくなっている可能性です。今回のケースについて言えば、もう記録がデタラメでどれがどれだか分からないので、その場しのぎで毎回資料なるものを手渡している可能性があります。日本国内でも、行方不明の人の足どりを掴むのは容易ではありません。政権内部で何が起こったか分かりませんが、日朝ピョンヤン宣言当時の激しい口調を思い起こすと、すでに犯行を主導した関係者が生存しているかどうかも分かりません。仮に犯行主導者が粛清されて記録も焼却されているとすれば、いまさら真実を解明したくても何もないでしょうから、その場しのぎを繰り返しているという見方もできます。
 以上は、いずれも善悪を論じる前の話であって、だから仕方がないといった結論を導くつもりはありません。国家による計画的な拉致を糾弾すべきであることには異論の余地がありません。
 しかし、そのときに、被害者ならまだしも、冷静であるべき人までもが、まったく考えなしに「許せない」を連呼したところで、何の解決にもなりませんし、一つ間違えばまったく見当違いの方向に突っ込んでいく危険さえあります。たとえばいま挙げた可能性でいえば、(a)の経済制裁をむしろ望んでいるという推測が当たっていれば、敵の思う壺ということになりかねません。
 だからこそ、相手の弱みや要求、相手の立ち位置をしっかりと把握する、情報収集と分析が必要不可欠なのです。熱病に浮かされたように、激情に身を委ねたところで、国際情勢を理解することはできませんし、まして国際社会への参加など望むべくもありません。