VNI鈴凛 過去ログ 04/09/01-31
2004/09/30 大統領に知らせますか
2004/09/28 A感覚とV感覚
2004/09/27 ♪組閣、組閣、もう日が暮れる〜
2004/09/21 あかがねコミュニケイション
2004/09/18 見た目も大事
2004/09/16 「分からない」と言う覚悟
2004/09/15 船内くまなくたずぬる三度
2004/09/14 時をかける少女
2004/09/10 火星人襲来
2004/09/09 月よりの使者
2004/09/08 完全生命体
2004/09/06 ♪夜の名残の午前三時よ〜
2004/09/05 漢魂洋才
2004/09/02 狭まる、世界
2004/09/01 おごるな教師!
ニュースクリップ
(09/28 05:10更新)
★ワシントンのセント・ヘレンズ山の火山活動が活発に=政府科学者が警戒呼びかけ【ロイター=シアトル発・米国東部時間15:44(日本時間04:44)】
★音楽プロデューサーのフィル・スペクター氏を殺人容疑で起訴。女優殺害容疑で逮捕され保釈中。「自殺だった」と起訴事実を否認【ロイター=シアトル発・米国東部時間14:49(日本時間03:49)】
★ルーブル美術館で2個のダイヤモンド盗難さる。47カラットと30カラット、合計1150万ユーロの価値。15分の警備の隙つかれる【BBC】
(09/17 21:30更新)
★プロ野球ストライキ突入決定。交渉期限2時間延長も隔たり大きく【朝日】
(09/17 17:05更新)
★プロ野球ストライキ構えた交渉、2時間期限を延長して続行【NHK】
(09/17 07:10更新)
★英下院に大衆紙記者が「ニセ爆弾」持ち込むことに成功、英議会に衝撃。経歴偽りウェイターとして下院に就職、バッテリーやタイマーなど持ち込めたと=デイリー・サン紙。議会のセキュリティと民主主義の伝統めぐり議論高まる【BBC】
(09/16 14:40更新)
★国連のアナン事務総長、「イラク戦争は違法だった」と初めて明言=英BBCとの会見で【毎日新聞】
(09/16 07:20更新)
★「狩猟禁止」めぐり禁止反対派運動家と警察が衝突、一部活動家が英下院委員会に乱入する騒ぎ。警備についてまた不備【BBC】
(09/10 17:20更新)
★プロ野球ストライキ、今週末は回避。交渉継続、17日までにさらに条件が整えば、18日以降のストライキは行わないと。【朝日】
(09/06 02:50更新)
★近畿地方の地震で発令されていた津波警報・注意報解除。三重県尾鷲市で港湾内の漁船転覆など各地で被害【NHK】
(09/06 00:24更新)
★近畿地方で強い地震、津波警報を受けて、三重県尾鷲市は市内全域に避難勧告【NHK】
(09/06 00:15更新)
★近畿地方で強い地震、津波警報。23時57分ごろ。震源は東海道沖、震源の深さは10km、規模はM7.3。和歌山県南部で震度5弱、関東地方含む広い地域で震度3を観測。【NHK】
(09/06 00:05更新)
★23時57分頃、近畿地方で強い地震。和歌山県南部で震度5弱。津波警報発令。愛知県の外海・三重県・和歌山県など太平洋沿岸に高さ1メートルの津波予想【NHK】
(09/04 01:30更新)
★クリントン・前大統領、胸痛訴え入院=CNN報道。心臓バイパス手術を受ける予定=ABC・CBS各テレビ報道【ロイター=ニューヨーク発・米国東部時間12:27(日本時間01:27)】
(09/03 20:20更新)
★ロシアの学校占拠、特殊部隊が突入、生徒の多数は無事。武装勢力のうち13人が逃亡とタス通信伝える。ロイター通信によればすべての人質が学校の敷地外に出され、地雷などについて特殊部隊が捜索中。負傷者は約200人か。【BBC/ NHK BS】
(09/02 03:00更新)
★独文学者・評論家の種村季弘さん死去、71歳。作家の故・澁澤龍彦氏と親交、幻想文学や博覧強記で知られた【朝日】
★イラン核疑惑調査のIAEAが調査報告書、「核兵器製造の決定的証拠ない」。調査は継続中、「調査は寄せ集め」=西側外交官が批判【ロイター=ウィーン発・米国東部時間13:29(日本時間02:29)】
(09/01 22:05更新)
★浅間山が噴火、気象庁が臨時火山情報【NHK】
(09/01 13:50更新)
★北京にある日本人学校に29人が駆け込み、脱北者か【NHK】
2004/09/30 大統領に知らせますか
私も見たよ、問題はないだろう(
来週からの新シーズンが期待される首席補佐官あたりの挨拶)
日本時間朝の英BBC、米ABC「WORLD NEWS TONIGHT」と続いて、昼間をはさんで日本時間夕方の米ABC「NIGHTLINE」と見て、最後にBSニュース「きょうの世界・経済最前線」とリレーすると、
日本のテレビニュースを見る気力が残りません(笑)。
今日の「World NEWS TONIGHT」では、大統領選で「自転車に乗らないか? 時間があったら釣りにいかないか?」と、「気さくな人間」をアピールするブッシュ大統領の姿勢を取り上げていましたが、アンカーのピーター・ジェニングスさんがぽつりと
「報道陣が大統領と自転車に乗ることはないと申し上げておきましょう」
とコメントを利かせていたのは、なかなか粋でした。
日本時間明日午前
(10月1日)には、第1回のテレビ討論会が予定されています。米ABCは、両候補に「負けた」かつての討論相手を登場させて、「ブッシュ氏は言葉を短く言うので、聴衆に明確なイメージを与える」「ケリー氏は言葉の柔術使いで、上手にかわされてしまう」と指摘していました。
もっとも、テレビ討論のルールが厳しく決められていて
(ABCの表現によれば「国連憲章よりも長い」)、爆弾質問などができないようにしてあるため、両陣営のテレビコマーシャルとさほど変わらず面白味も新鮮味もない、という指摘もあります。
それでも、CNNなどメディア各社は、両陣営の取り決めにメディアは必ずしも拘束されないはずだ、という声明を出しています。
……えーと、まったくといっていいほど見ない地上波の民放チャンネルがあるので、その視聴権売って代わりに米ABCと英BBCが見たい、と思いました(笑)。実際NHKのBS、テレビ東京、それにTVKぐらいで回ってしまいそうなので(笑)。
時間単位でいうとですね、「占い師が出てきて『地獄行きだ』と脅す番組」なんかは絶対に見ることのない
(見たくもない)ので、
その時間枠売り飛ばして、良質の報道・ドキュメンタリーか、そうでなきゃアニメ番組見られるようにしてもらえれば、大層便利です(笑)。
……先日TBS
(地上波)の「激店」の間に入る番宣でちらっと見ましたけど、あれ
ビジュアルだけでも目に毒だというのが正直なところで、とても30分や1時間にわたって正視したいとは思いません(笑)。
そういえば、第一声を求められて
「地獄に落ちろ」と言ってしまったのは、イスラエル訪問直前のブッシュ氏
(当時知事)でした。
「ユダヤ人を含めキリスト教を信じない人は地獄に落ちる」と言いまくって知事に当選したというぐらいですが……。占い師さんと、あとやっぱり「地獄へ落ちる」を連呼するイスラム過激派さんと、3人仲良くテレビ出られるんじゃないかしら、などと半畳を入れたくなってしまうのは問題でしょうか(苦笑)。
あ、大急ぎで付け加えておくと、「占い」そのものに否定的な印象は持ってないです。「怪力乱神を語らず」であっても四書五経に『易経』が入るわけで、全面否定するつもりはありません。ただ、権威振りかざしつつ奇をてらうスタンドプレイみたいなのは、生理的に嫌悪感を覚える、というだけです。
だいたいですね、「地獄」連呼されると、
「♪いざ来いニミッツ、マッカーサー、出て来りゃ地獄へ逆落とし!」 をじゃかすか流していた島国の末路とイメージがだぶってくるんですけど(苦笑)。
ブラックジョークはさておき、ケーブルテレビ各社も、付加価値としてのインターネット接続
(そりゃ、テレビの使う帯域に比べればネットなんて高が知れてますから)にいまさら力入れるよりも、いっそ海外のメディアを通訳つきで流したほうが、一定数の視聴者確保できるんじゃないかしら、と思うのは少数派でしょうか。
ところで、米PBS「ジム・レーラー ニュースアワー」では、テレビ討論についての政治記者の分析で、ブッシュ氏はディベートには強いものの「興奮したとき、しつこく追及されたときに切れてしまい、そのときに鎧がはがれることがある」と指摘していましたが、その中で
「しつこい追及」の例として「前回選挙時のレーラー氏のように」を挙げていたのはちょっと微笑ものでした。
ジム・レーラーさんは、米PBS
(公共放送)のアンカーマン
(キャスター)ですが、前回につづいて今回の大統領選挙のテレビ討論でも司会をつとめることになっています。対決討論の司会を両陣営から認められるわけですから、いわゆる「偏り」がないのは明らかですが、ここで注意したいのは
「偏りがないこと」イコール「曖昧にしておく」ことではない、ということです。大本営発表の伝統があるところでは、ここをイコールで結ぶ癖がありますが、そうではなくて、突っ込むところはきっちり突っ込む、その上での「不偏不党」が成り立っているんですね。
まあ、アメリカのメディアは旗幟鮮明にすることも多く、論調以前に「ちょっと待った」と言いそうになることもあります。たとえば、先日取り上げた米ABC「This Week」のアンカー、ジョージ・ステファノポロスさんは元クリントン政権のスタッフ
(報道官)ですから、さすがに司会は頼めないでしょう(笑)。
これもアメリカの政権システムの産物で、政権交代でクビになったら民間で頑張って再起を期しなさい、民間で使えないような人材はもともと政界でも使えません、という分かりやすい仕組みが背景にあります。さすがにキャスターに転身するのは目立ちますが、オルブライト前国務長官にしても、キッシンジャー元国務長官にしても、ポストを離れた後も有識者として活躍されるわけです。政治任用制度そのものの優劣はまた別の問題で、仕組みだけ導入してうまくいくとも思えませんが、デメリットはあるとしても、社会全体がそういう形で機能するようにきちんと整備されているのは確かです。
それはともかくとして、報道官もハンパな能力ではつとまらない世界で、原稿読み上げなんか論外の外ですが、そういう対決の土壌で、公平にしかも適確に
(=候補者にとっては痛い)指摘を入れていくメディアの能力には、やはり問題はあるにしても、彼我の格差を感じないわけにはいきません。
話違いますが、昨日はNHK総合に「台風情報」が入って、予定されていた「パラリンピック閉会式中継」が教育にずれ込む、と、
トコロテンみたいな変更が入りましたが、それで番組表改めて見たら……
9/29(水) 02:01 >> 02:26 NHK教育 NHK人間講座[再] 監督の信念 「人を動かす組織を動かす(5)」 出演者: 星野仙一
(注意:編成変更前のスケジュールです)
まるっきりノーチェックだったんですが、そんなの放送してたんですか?(笑)
……
春歌ちゃんに振ってみようかしら(笑)。
(日本時間10/01 07時追記)
仮眠の前に、番組表をチェックして……
ちょっと待ったっ!
大リーグ 「ツインズ×ヤンキース」
10/1(金) 08:00 >> 11:00 衛星第1
(延長時、以降変更あり)(番組変更の場合あり)
アメリカ大統領選テレビ討論
10/1(金) 11:00 >> 12:35 衛星第1
(大リーグ早終了のとき、繰り上げ)
いったいどうしろと言うんですか?(汗)
「延長あり」はともかく、
「繰り上げ」って……。
要するに「状況次第です」って意味でしょうか。ずーっと見てるしかないのかしら(泣)。
2004/09/28 A感覚とV感覚
私の話を聞いてくれてたのかな、ということを常々思ってたんですけれども、でも、もしかしたら聞いてくれてたのかもしれない、いや、心に届いてなかった……いや、え、こんなときまでジャマするの? ねえ!?(
最終回まで破壊される松来未祐さんあたりの挨拶)
昨夜放送の「BSニュースきょうの世界」、スーダンからの映像中継が途切れるハプニングがありました。
現地に入るのさえなかなか許されなかった悪条件での中継、即座に映像を切って音声に切り替えて中継を続けたのはさすがでした。
今日、めったに見ない日本の民放番組を見ていたら(笑)、なんでも小学校の運動会で子どもの姿を撮影するのに大奮闘、という話題を取り上げてました。
……その、他人押しのけて突っ走る親の姿って、
それこそ教育上よろしくないんじゃないかとツッコミたくなるのは酷ですか?(笑)
どうせ外周の観客席からでは、ズーム性能以前の問題で、行き来する人などの障害が多くてロングショットは無理だと思いますから、いっそのこと
PTAで真ん中にカメラ据えて代表取材(?)のほうがマシな映像になるような気もします(笑)。
内外大小問わずスポーツは基本的に圏外ですけれど、確か陸上競技では、選手と報道陣が接触する場所を作ってあると思います。
と、ここまで書いてあらぬ方向に思考が行ってしまうんですが、
まるっきり関係ない人間が小学校でビデオカメラ振り回すという別の問題も起きそうで、そのうち「
取材パス」が必要になるかもしれませんね
(おい)。
「ご家族の方はバッジつけてください」ぐらいのこと、もう実施してる可能性もあるような……。
「映像の21世紀・第1集は、一般市民がとらえた映像から、束の間の繁栄を楽しんだ21世紀初頭の姿を……」(声:山根アナ・BGM「パリは燃えているか」) などとでっち上げそうになります
(こらこら)。
Amazonさんの「おすすめ」リスト、いつも驚かされるんですが……。
さっき「音楽のおすすめ」見たら、こんなんでした。
MELODY [MAXI] SISTER PRINCESS
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」フルトヴェングラー(ウィルヘルム)
月は東に日は西に ~Operation Sanctuary~ OPテーマ 「amulet」 飯塚雅弓
ベートーヴェン:ディアベッリの主題による33の変奏曲 [LIMITED EDITION] バックハウス(ヴィルヘルム)
『電撃G’sラジオコンピレーションミニアルバム「Gラジ 音楽部」』
フルトヴェングラーやバックハウスと、平然と同じリストに並んでるのって、なんだかシュールです(笑)。
2004/09/27 ♪組閣、組閣、もう日が暮れる〜
2004/09/21 あかがねコミュニケイション
むさぼることをやめよ。まことの友は一人二人あらば足りなん。(
のちに陸軍軍医トップに立つ文学者あたりの挨拶)
hidakaさんのところ
(09/17〜19付)で紹介されていた
MAS-R妹さんの「どこまで自分をさらけ出したらよいのか!?」というテーマ
(09/18付)、たいへん興味深く読みました。
これ、言い方悪いですけれど
「踏絵」みたいなところがあって、どうやればバレずに済むかというのはよく議論されていると思います。
しかし、翻って考えてみると、そこまでして隠さなければならないというのも、どこか不自然な感じもします。
戦略・戦術として、つまりバレずに済ませるテクニックとしては、なるほど適確な指摘だと思いますので、あちらにお任せするとして(笑)、ここでは、戦略の前にくる政略、「なんのために?」という部分について検討を加えてみたいと思います。
普段はあまり意識しないかもしれませんが、コミュニケーションの目的という問題があります。ぶっちゃけて言えば、
相手にどう思われたいか、どういう印象を与えたいかという目標値ですね。
これは、ベタベタしたいというのもあれば、逆に「あの人とは付かず離れずで距離保ちたい」というのもあるでしょうし、尊敬されたいというのもあれば、気軽な感じで接してもらいたいというのもあるでしょう。
つまり、「一般人を装うテクニック」が必要になる場面もあるでしょうし、その場面ではどういう部分に気をつけるべきかという要注意事項もあると思いますが、
コミュニケーションってそこまでして守らなければならないの? というところにひっかかりを覚えるのです。
たとえば、よく皆さんおっしゃるのが、
彼氏彼女が欲しい、だから自分の趣味をバラさないように振舞いたいと。そういう技法はあると思います。極端な話、通訳者と同じで「もう1個別の文化」を身につけて、それを表に出せばいいわけで、それは
日本語で喋るか英語で喋るかと同じように、「一般語」と「オタク語」の使い分けと割り切ってしまえば、やってできないことはないと思います。
ただ、そこまでして交友関係・交際関係を作っても、それ維持するのは大変だと思うんです。はっきり言って疲れるんじゃないかと(笑)。
対症療法でごまかすのは、危きに近寄らずで何とかなると思いますが、それで作っちゃった場合、あとから修正はきかないし、親密さを増すほど指数級数的に無理が増加するように思います。
さて、ここで一つ大きな問題があります。英語ですとCommon Sence、共通認識というのを日本語では「常識」と訳していますが、共通する話題があるかないか、という問題です。
手っ取り早い例では、「今年の夏のオリンピック、どれぐらい見ましたか?」という質問があります。
私なんかはトータルで分単位、それもヒトケタです(笑)から、「シンクロ良かったね!」と言われても「そうらしいですねえ」という気の抜けた返答しかできません。
旬の話題ならいいかと思っても、いきなり「
インドネシアの決選投票……」「
江沢民氏が……」なんて振るのも無謀な話です。「台風19号」と「ハリケーン・アイバン」でも、物は一緒のはずですが話題の感覚はえらく違います。
ここが相手とのポジショニングの問題で、そういう目で見てもらいたい・見てもらえる関係づくりであれば、そういう話題で攻めてもいいわけです。
問題は、そうではない場合、つまり普通のフリをしなければならない場合で、持っている話題を隠す、避けるのはできても、持ちあわせがない話題はどうしようもないということがあります。
そういう場合に、往々にして
――オタクと呼ばれる人に限らないような気がします――無理に話題を広げようとして自滅することがよくあるように見受けられますが、何も無理に話を拾いに行かなくても、うんうんと相槌打っておく第三の選択があるはずです。
なぜか、テレビの影響かどうかは分かりませんが、皆さん
沈黙を怖がるんですね。ラジオ・パーソナリティが「放送事故」を恐れるわけじゃないんですから、会話に沈黙の間があっても差し支えないと思うんですが、なんとかして沈黙を埋めようとして、その結果無理が生じて自滅するケース、少なくないのではないでしょうか。
会議や打ち合わせなら、また話は別です。
プレテ終えて「質問は?」と振った後の沈黙、あれは非常に痛い時間です(笑)。
しかし、日常会話なら、黙ったままなんとなく次の話題に進むこともあるでしょうし、必ずしも沈黙イコールNGとは限らないはずです。そこで焦ってしまうと、かえって限られた手持ちネタから持ち出そうとして、地雷を踏むことになるように思います。
先ほど、これは「オタク」と呼ばれる人に限らないと言いましたが、これは、性差の問題として取り上げられているからなんです。
女がしゃべる目的は、しゃべるためにほかならない。それなのに男は、解決策を求められていると思ってしまう。分析好きな脳が、女の話をさえぎるのだ。
(中略)
一日分のコミュニケーションをこなすために話しているとき、
女は口をはさまれることも、解決策を教えてもらうことも望んではいない。
(『話を聞かない男、地図が読めない女』)
日常では、アンカーマンでもなければパーソナリティでもないんですから、いつも話の中心にいなければ、話に加わっていなければ、と思う必要はありません。
複数の場合
(1対1でないとき)はなおさらで、無理に話を拾おうとしたり、あるいは話題を変えようとするよりは、そこだけ黙って聞いておくというのも一策です。黙って聞いておいて使えそうなネタなら、後日どこかで転載・再利用したっていいんですから(笑)。
ところで、一つの対策を考えると、その対策に応じた対応策を考えてしまう、つまり盾を作るとそれを上回る矛を考えておこうとする悪い癖がありまして(笑)、「この人さっきから黙ってるけど、話ちゃんと聞いてるのかしら?」という場合のツッコミも考えてしまいます。
Closed Questionsと
Open Questionsと呼んでいますが、「はい/いいえ」を聞く質問と、「どうですか」と聞く質問があります。
この人話聞いているのかしらと疑うとき、まさか「聞いてます?」と聞いて「いいえ」とは答えないでしょうから、そういう場合に使われるのが
What do you think?のような、どう思いますかという質問です。これ振られると、否応なしにある程度返事しなきゃなりませんし、しかも返事の内容でおおまかに理解度が分かってしまいます。
例を挙げましょう。
「きれいなお姉さんは好きですか?」(某家電メーカのCM口調)という場合、あまり「いいえ」と答える人はいないと思います。それを5段階にして、「とてもそう思う・どちらかといえばそう思う・どちらともいえない・どちらかといえばそう思わない・まったくそう思わない」としても、あまり大きな違いが出てくるとは思えません。この場合、どういう文脈で「きれいなお姉さん」が出てきたか、実は回答者がまるっきり分かっていなくても、とりあえず「はい」と答えちゃえば何とはなしに通過できるわけです。
それが、
「きれいなお姉さんについてどう思いますか?」というOpen Questionsにすると、「羨ましいですね」であるとか、「きれいでも年上はパスです」であるとか、さまざまな回答が出てくるでしょう。その回答を見たときに、たとえば「いいんじゃないですか」みたいな回答だったら、この人話聞いてないんじゃないの、と判断できます。
そういう意味では、一時期桑谷夏子さんが多用していた「どうよ?」という投げは、相手のパーソナリティには重かったんじゃないかとも思います(笑)。
ただ、「どう思いますか」では、どんな答えが返ってくるか分かりませんし、えんえん答えるうちに話題がずれていくこともあります。
「イエス・ノーで答えられる質問でこちらのストーリーに沿う答えを出させることができれば一人前である」と
『民事尋問技術』にありますが、これは反対尋問の技法についてであって、日常会話でやるようなものではありません(笑)。
もっとも、反対尋問のテクニックに、相手の「教えたがる本能を利用してしゃべらせる」というのがありますが、これは日常会話でも活用できるのではないかと思います。
まるっきり見当違いのことを言うと馬鹿にされる危険もありますが、小さな思い違いの場合、「自信がないから触れずに済ませる」よりも、思い切ってしゃべってしまうと、だいたいは相手が「いや、それ違います、これこれで……」と勝手にしゃべってくれると思いますから。近いところで例を挙げると、
「シスプリの妹って13人いましたっけ?」と振ったら、延々と「そもそも……」と長時間にわたってしゃべってもらえると思います(笑)。
と、ここまで書いてみると、結局のところ
>オタク」であることを知られたくないという思いがある一方で、ちょっとそーゆー方面(ようするに「オタク」であること)の知識に長けていることを知ってほしいという、相反する思いが渦巻いていることはわかります。しかし、気をつけてください。そうゆう葛藤をお持ちの方は、一般人による「プレステ2」や「アニメ」というなにげない発言が呼び水となり、決壊するダムのごとく一般人に自らの「オタク知識」をペラペラ披露してしまう危険があります。
という指摘の言い換えに過ぎないような気がしてきましたが(苦笑)。
ただ、「その場のテクニック」以上に、
「あなたはその相手にどう思われたいの? 自分の知識をどんどん披露して尊敬されたいの?」というポジションについて考えておくのも有意義だと思います。
コミュニケーションそのものが目的なのか、何らかの目的があってそのための手段なのか、とくに異性関係ではどちらなのか分かりにくいところはありますが、
コミュニケーションによってどうしたい・どうされたいかはあると思います。ビジョンとまでは言いませんが、相手に何を求めるかによって、アプローチやウェイトの置き方も違ってくると思うんですね。
……ただし、政戦略的思考法によってばかりだと、
「面倒だからいいや」と減る方向に突っ走る危険がないとは言えませんので、その点は責任負いかねます(笑)。
そうそう、話いきなり変わりますが、踏絵で思い出したんですけれど、「シスプリ」世界に染まっているかどうかは、単語の
「可憐」を示して読んでもらえば一発かもしれません(笑)。
一般の人は形容動詞「可憐な」を思い浮かべて読みますから、
後ろが上がるアクセントになります。
キャラ名だと思うと「カ」を高く発音するアクセントになります。
「可憐な瞳」と「可憐の瞳」でやってみると、アクセントが違ってくるのが分かりやすいと思います。身近な人とっつかまえてお試しあれ(笑)。
>春歌(WS)ちゃん(9月19日)
> サイバーエージェントですわね。んー…
> 典型的な中堅IT企業って感じでしょうか。関連会社にアフィリエイトサイトのトラフィックゲートなどがあったり、韓国のMMORPG「トリックスター」の国内独占的営業権を取得したジークレストが子会社になっていたりと様々です。
どこかで目にしたことあるなあと思ったら、メルマガの「melma」の運営もしてるんですね。
広告代理店さんだったら、いまならタダでテレビニュースに社名出し放題なわけですし、古ぼけた頭では追いつかないメリットを感じるのも不思議ではないでしょう。
……あとは外資かしら(笑)。「参入障壁!」と叫ぶと、いきなりWTOだとか
スサマジイ話になりそうですが(笑)。
ちょうど大統領選挙もあるし……。
で、そこまで来れば、「差し戻し」でウチが外電として扱うことに
(おい)。
2004/09/18 見た目も大事
2004/09/16 「分からない」と言う覚悟
ふしぎだと思うこと これが科学の芽です
よく観察してたしかめそして考えること これが科学の茎です
そうして最後になぞがとける これが科学の花です
(
いまなら留学中に呼び戻されてしまいそうな物理学者あたりの挨拶)
純粋な自然科学のほうはまだしも、いちおう「科学」をつけて呼ばれる「社会科学」「人文科学」の分野で、芽も茎も打ち棄っておいて花だけ先取りしようという不埒な考えがはびこっているような気がしますが、杞憂でしょうか。
死刑執行の宅間死刑囚、刑確定後も謝罪の言葉語られず【朝日】
<小6同級生殺害>加害女児の自立支援施設送致を決定【毎日新聞 /Yahoo】
長崎県佐世保市の小6同級生殺害事件で、長崎家裁佐世保支部(小松平内裁判長)は15日、家裁送致された加害女児(11)の第3回少年審判を開き、児童自立支援施設に送致する保護処分を決定した。また、行動の自由を制限する強制措置を2年間を限度に認めた。決定は女児の人格特性を「社会性や他者への共感が希薄で、怒りを適切に処理できない」などと指摘したうえで「女児には『死のイメージ』が希薄で、いまだに同級生の命を奪った重大性を実感できていない」と分析した。
付添人は抗告せず、処分は確定。女児は16日にも、女子の強制措置が取れる唯一の施設の国立きぬ川学院(栃木県氏家町)に送られる。
家裁が公表した決定理由要旨はA4判7枚。この中で女児の生来的な特性として(1)対人的なことに注意が向きづらい(2)物事を断片的にとらえる傾向(3)抽象的なものを言語化することの不器用さ(4)聴覚的な情報よりも視覚的な情報の方が処理しやすい――などを挙げた。
ただ「これらの特性は軽度で、何らかの障害と診断される程度には至らない」と位置づけた。
また▽女児を両親が「おとなしく手のかからない子」と見誤ったため、対人関係や社会性、共感性の発達が未熟▽会話による意思疎通が不器用で、家庭も学校も女児の思いをくめなかった▽愉快な感情以外の感情の認知、表現が困難で、怒りを抑圧・回避するか相手を攻撃する両極端な行動しかできなかった――などの問題点を指摘した。
更に、女児が傾倒していたホラー小説などが殺害行為に影響したことも認めた。
直接的な動機は「唯一の居場所だったインターネットや交換ノートを巡るやり取り」としたものの、被害者の御手洗怜美さん(当時12歳)については「言動は他人に殺意を抱かせるようなものではなく、特段の落ち度はない」と認定した。
また、女児の家庭には問題を解消できるだけの機能が備わっておらず、社会内での処遇は不可能と分析。これらを踏まえ、自傷や他者への加害の可能性も考慮して、2年間という長期の強制措置を許可した。
審判は非公開で午前10時半から約1時間の休憩を挟み、午後2時半まで開かれた。裁判官3人、女児、女児の両親、家裁調査官5人、書記官1人が出席。小松裁判長が処分と簡単な経過説明を女児に言い渡した。
家裁が認定した非行事実によると、女児は怜美さんと交換ノートを交わしたり、ネット上でメールのやり取りをしていたが、その内容を見てばかにされたり、批判されていると感じて腹を立て、6月1日午後0時20分ごろ、市立大久保小学校の校舎3階「学習ルーム」に怜美さんを呼び出し、首をカッターナイフで切りつけて失血死させた。【川名壮志】
(毎日新聞) - 9月15日23時43分更新
二つの「理解できない」事件。後者はこれからですし、ひとくくりにできない問題ですが、日本語メディアで読んでいて際立って感じるのは、
なんとかして理解して済ませたい、片付けたい、という悪戦苦闘ぶりです。
とくにこの同級生殺害事件については、要点について見てみると、「『死のイメージ』が希薄」「対人的なことに注意が向きづらい」「抽象的なものを言語化することの不器用さ」「唯一の居場所だったインターネットや交換ノート」……被害者の家族がコメントを出しているように、
「程度の差こそあれ、大人が一般的に『普通』と呼んでいる子供のようです」と戸惑うほかないのが、いちばん冷静で正直な反応ではないでしょうか。
もちろん裁判所は相応の検討と審理をしたうえで決定を出しているのでしょうから、漏れ聞こえてくる要点だけを持ってくるのも問題ですが、しかしその要点だけに目を取られて、「だから……」と納得して終われる人は、きっとお気楽な人でしょう。
私などは、これをそのまま受け取るとすれば、日本に約50万人規模の殺人予備軍・待機者がいるという恐るべき判断だと見ます。
この数字の根拠は、先ごろ発表された労働経済白書で「無業者52万人」というデータ(参考:
該当記事(毎日新聞/Yahoo)です。このデータは社会側から表側の状況を見ただけで、心理的な問題について検討したデータではありませんから、全部がイコールで結べるとはさすがに思いません。
しかし、この統計に含まれない数字もあります。たとえば、病気による場合は当然労働統計の対象外になりますが、これはことによっては後先の問題にすぎないかもしれません。同じように悩んでも「対人関係から不眠症になって病気理由で退職」した場合は、すでに「病気理由」のラベルが貼られてカウントされていない可能性も十分考えられます。さらにいえば、現在問題を抱えたまま在学中
(留年・不登校含む)の準備段階の数は、まったく考慮されていません。
それを差し引きすると、桁としては同じオーダーで「問題」があると言われかねない人がいる、という見方はまったくの的外れではないと思います。
1例については個別具体的にしか対応しない、という姿勢で一貫するなら、こういった検討はまるで見当違いになりますし、そういう考えはあるでしょう。事実認定の問題からあるわけですから、
個別例は個別例で終始する、それは一見識です。しかし、仮にこの1例から何か一般化できるものを考えようとするなら、その思考を徹底してみる試みが必要です。
中途半端に1例を持ち出して、中途半端に仮想敵のようなものを作って満足しようとするなら、何も考えずに寝ているほうがマシです。
そこで、今回の決定における指摘についてもう一度見てみると、類義語の繰り返しとまでは言いませんが、同じカテゴリに整理できそうな部分があります。というのは、一つの被験者に対して、いろいろなアプローチを試みた結果を断片的に出してみたような印象を受けるからです
(比喩でいえば、「胃炎」の患者について、「食欲が不安定」「ときどき発作的に痛みを訴える」などと列挙しているような)。
「抽象的なものを言語化することの不器用さ」は、「『死のイメージ』が希薄」「物事を断片的にとらえる傾向」とほぼ同じ
(同一事象の別側面ないしは包含関係)でしょう。
「対人的なことに注意が向きづらい」と「唯一の居場所だったインターネットや交換ノート」は、このケースではどちらが原因でどちらが結果なのか分かりませんが、一般的には「対人的な〜」があるために、結果として残されたのが「唯一の居場所だった〜」という事例が多く見られるのではないでしょうか。
こう整理してみると、
ポイントとしては2点、つまり「抽象的なものを言語化することの不器用さ」と「対人的なことに注意が向きづらい」になります。この2つも何かしら共通項が考えられる可能性はあるでしょうが、そこまで結論を急ぐ必要はないでしょう。
ここで注意しておかなければならないのは、たとえこの2点について妥当と認めたとしても、それが必ずしも数学でいう必要十分条件にはならないということです。2点以外にブレーキとなる環境要因はあるでしょうし、1つだけでも突破されてしまうかもしれません。ここに特殊例をもとにして一般化しようとするときの罠があります。
それでも、病理学の示すように、特殊な例によって一般に潜む問題を指摘するだけの価値はあるのですが、指摘より進んで画一化に利用しようとすると、「メガネをかけている奴はインテリだから粛清せよ」といったムチャな話に発展しかねません。これだけはよくよく注意をしておく必要があります。
その上で考えてみると、抽象的なものを処理してゆくこと、それと対人関係という問題が、極めて早期に特異な形で事件となったために注目されることになっただけで、まさに程度の差はあるとしても少なくない数の人が抱えている問題ではないかと思われます。
こういう問題ですぐに出てくるのが、例の忠君愛国を万能の呪文のように唱える一団で、「対人関係」に目をつけて、それ対策が必要だ、それには集団のなかでの生活だ、あるいは学校の外で強制的に何かをやらせることだ、と持っていかれがちです。そういう人に対しては、「物事を断片的にとらえる傾向」の一言に尽きる、と切り返したくなります。
話ずれますが、何しろ今回の決定について第一報を聞いたとき、寝起きだったこともあって、
「日本のメディア批判の話?」とさえ思いました。「死のイメージが希薄」で、「物事を断片的にとらえる傾向」があり、「抽象的なものを言語化することの不器用さ」「聴覚的な情報よりも視覚的な情報の方が処理しやすい」……随分適確にメディアを断罪したものだと、とっさに誤認したぐらいです。
ついでに言ってしまえば、重大事件に際してよく「死のイメージが希薄」とよく言われますが、それでは多くの「普通」の人はどうなのか、そんなに確固としたイメージを持っているのか、疑問です。場所は違っても大量殺戮が進行中の現代で、イメージを濃厚に持っていたら、社会のいう「正常」ではいられないのではないかとも思います。
皮肉はさておき、もし死のイメージが濃厚で、それで対人関係で問題を持つとどうなるか、考えてみる必要もあるでしょう。いや、希薄だからだという逆の見方も可能ですが、つねづね問題にしている自殺者を想起してしまいます。攻撃性が外に向いたときには大事件になるものの、内側に向いたときには統計数で片付けられてしまうのでは、という疑いです。
社会学の側としては、目下直面する課題として、数を見て対策を考えますが、どうしても現状の基盤を肯定した上での「対策」になります。最少費用の最大効果を狙うとまで言うと言い過ぎかもしれませんが、なるべく現状に手を加えずに打てる対策を考えようとするのはある意味当たり前の手法でしょう。
しかし、これだけ大規模な問題がある場合、穏健な社会学的アプローチだけで解決できるのかどうか、心理学の側から社会に再検討を迫る必要もあるのではないでしょうか。
言い換えれば、どこでも「大問題」とされている「対人関係」「協調性」について、
本当に現状の社会を前提に置いて、「問題」の人を何とかすればいいと考えるだけで済むのでしょうか。対人関係は、「対・人」と分かち書きにすればわかるように、相手すなわち社会の「普通」があって、それに対面するときに生じる問題です。
現在の日本の「多数」側には、何ひとつ反省すべき点はないと、どうして言い切れるのか。ナチス・ドイツでも旧ソ連でも、政権を批判すると異常とされて病院送りというお定まりがありましたが、それといまの日本が抱える課題へのアプローチが本質的に違うのかどうか、考えなくていいのでしょうか。
それは、殺人であれ自殺であれ、大多数にとって特異な問題については、あれは特異なんだとラベルを貼れば安心はできるでしょう。それによってこちらの価値観が揺るがずに済むからです。
かつて欧米の救急医学で、「サノバビッチ・シンドローム」という警鐘がなされました。救急医が自殺未遂の患者の救命にあたるときに、日頃「生きようとしているのにどうしても救えない生命」に苦闘している分、八つ当たりのように患者に反感を覚えるというものです。根本には、救急治療に関わる側の人間の死生観や価値観を揺るがされるために、自己正当化のために患者に聞こえないように罵声を浴びせて一線を画そうとする一種の心理的防衛であるとも言われます。
学校では、殺人であれ自殺であれ、身近な児童・生徒に事件があると、その学校でたいてい「生命の尊さ」を教える訓示といった「儀式」が行われます。問題は教える中身で、とりあえず傷口にバンソウコウ貼ってごまかすだけ、傷口の大きさも今後の経過予測もなにもなしに、「やりました」とアリバイにして済ませているのではないかと疑わざるを得ません。生命尊重を子どもたちに訴えるなら、その前に自らがそういう理念を持っていながらなぜ食い止め得なかったか、責任を考え問題点を検討しなければならないはずですが、そういった思考は抜きにして訓示だけで片付けていないでしょうか。
アラファト議長が乗っていたヘリが墜落して負傷した
(1992年)とき、お見舞いにかけつけたフセイン大統領
(当時)が、軽傷で済んだアラファト氏に向かって「どうして落ちるようなヘリに乗ったんだ」とジョークを飛ばしていたと聞いていますが、いま日本の学校で事件後に生き残った人に向けて唱える「生命尊重」は、その軽口とレベルにおいて大差あるかどうか。「どうして生命を失うようなことになったんでしょう」と学校側が嘆いてみても、傍から見るとブラックジョークにさえ思えます。
現在の「ただ生命尊重をやみくもに呼びかけて片付けたことにする」という態度は、聞こえないように罵声を浴びせているのと、どう違うのでしょうか。あの人たちとは違うんだ、こっちが正常なんだと言えば、それは気分はすっとして落ち着くでしょうが、問題にはまったく立ち向かっていないのです。
「ニート50万人に対策を」というときに、社会との接点を「彼らに作るようにしなければならない」というのは簡単で、社会側は最小限度の修正で済ませようということでしょう。しかし、「彼ら」が持つという「対人関係の問題」は、その責任を比較少数の「彼ら」にだけ押し付けて、その問題を「彼ら」が解決すれば社会は幸福になれるというのは、幻想でないと言えるのでしょうか。
多数を占めている方が正常で、それに合わせることのできない少数の人は異常である、と決めれば、これは楽です。しかし、その物差しはまっすぐなものかどうか。ときには多数の側に対して、物差しが年を経て歪んだり縮んだりしていないかどうか、問い直してみる必要があります。それを怠って楽をするなら、ヒトラーやスターリンに異議を唱えると病院送りというのと、まったく変わるところがなくなります。
それは極端な例による詭弁だ、というなら、別の例を思い起こしてください。日本では借金を苦にした自殺が少なくありませんが、アメリカでは破産法の適用を受けることに対してそこまでの苦痛は希薄です。「多数」の意識によって作られた制度が違うだけで、同じ事象に対して持つ意識が違ってくるのです。
さらにいえば、この国は、「英語」そのものをタブー視した時代があり、それが一夜にしてひっくり返って、英語を使える人間が重宝されるようになったことも経験しています。今日の多数側が、明日も引き続いて多数でいたがるのは当然ですが、それは願望にすぎません。今日「少数」に属するからといって、明日への切符を奪おうとするなら、全体が滅亡に向かう道です。
同時に、いま「少数」に属する人が、あすへのチャンスを決定的に失う行動に出る必要もありません。多数は変な方向を目指しかねないところがありますが、少なくとも現時点では、「何もしない」でいれば、銃殺になることはありません。拷問にかけられることも……と言いたいところですが、直接法制度が手を下さなくても、多数を占める人たちが行うリンチとしての精神的拷問は、ネグレクトを含めればむしろ少なくない数でしょうから、その保証はしかねるのが残念なところです。
1例の犯罪事件が特異なだけに、あれは極端な例外で、と逃げたくなるのも心情でしょうが、決定の指摘を真面目に受け止めるとすれば、非常に大きな数の「普通に見える」人について連想するのも自然ですし、その場合には、さらに大きな数の「普通」に対しても検討が必要だと思われます。
ところで、惨殺としか言いようのない池田小の事件は、現行法上極刑の死刑をもっても憎み足りないという心情は分かりますし、被告人がまったく事実についても量刑についても争わなかったという特異な点はありますが、だからといって
早期の執行についても一切の異論は許さず、という空気はいかがでしょうか。
法制度で死刑を定め、裁判官が認定して死刑判決が確定している以上、いつまでも放置して毎日を脅えて暮らすようにするのも残酷じゃないか、というのは後藤田正晴元法相の論理です。だとすると、このケースにおいて、早期の執行は、「犯人の要求」を丸呑みしたことにならないでしょうか。
一方、
『FBI心理分析官』では、猟奇的な犯罪に対してこう述べています。
フロリダ州はテッド・バンディを処刑するのに七、八〇〇万ドルを費やしたが、この金を使ってバンディやケンパー、ゲイシー、バーコウィッツ、ダーマーのような反社会的人間を調査し研究するための法刑罰施設を設立したほうが有意義だったのではないか。死刑は凶悪犯罪を抑止するものではないという点で、犯罪学者の意見は一致している。それは単に被害者の遺族や一般社会の復讐心を満足させるだけだ。ダーマーの場合のように、これらの凶悪犯が数年を刑務所で過ごすだけで社会に復帰することはありえず、死ぬまで監禁生活を送ることになると国民に保証することができれば、大きな進歩である。どこでどのように監禁されるかは問題ではない。
念のために追記しておくと、これは、猟奇的事件については更生の見込みはない、更生したと思って釈放すれば彼らは必ず凶行を繰り返す、と強く断定した上での話です。
凶悪犯は更生できない、と断定しながらも、だからこそ既遂の犯罪者についてより深く分析すべきで、処刑してしまったら研究材料がなくなるといわんばかりですが、死刑が免れないと知りつつ犯行を繰り返す凶悪犯と対峙してきた著者の冷徹な見解として傾聴すべきではないかと思います。
なんとか分かりたい、理解したいという方向と、大急ぎで理解したことにして落ち着きたいのとは違います。
感情を排して物を見ようとするなら、「見えない」「分からない」ことを認めることも必要です。
「あれは残虐なケースだ」「これは異常な事件だ」と決め付けるなら、そこから引き出せる情報があるはずもないのです。もし何かを引き出そうとするなら、斜ではなく正面から向かい合わなければなりませんが、「分からない」不安定な状態をも引き受けるだけの覚悟が必要です。分からないことは不気味とつながるでしょうが、不気味なままで課題として置いておく用意が必要です。「最近は……」と言いたがる人に、それだけの覚悟と用意があるのでしょうか。
真正面から向き合う限り、手持ちの知識や経験則ではまったく分からない何かがある、と見るのが正直な姿勢だと思います。分かったつもりになれれば、それは楽でしょう。しかし、見せかけの説明で「分かったつもり」になるのは、まったく分からないと認めて留保するよりも、より真実から離れていくことを銘記しておかなければなりません。
……「抽象的なものを言語化すること」についても、犯行当時取りざたされた「ネットの文章」とともに見ておきたいところですが、さすがに限界です(苦笑)。
2004/09/15 船内くまなくたずぬる三度
2004/09/14 時をかける少女
ハイヤームは、その配下の7名の学者とともに、これにまさる正確さの暦法の改革をすでに11世紀になしとげていたのである。彼は33年に8回の閏年を設けること、すなわち7回の閏年は4年ごとに、そして8回目を5年目に数える方法を案出した。これによると誤差はグレゴリイ暦の26秒に対してわずかに19秒となる。(
西の酔っ払い詩人オマル・ハイヤームの業績について、『ルバイヤート』の解説あたりの挨拶)
先週金曜深夜の「
特集・あすを読む 同時テロ3年・世界は安全になるのか」は、秋元千明解説委員
(安全保障・軍事)や岡部徹解説委員
(アメリカ)と、柳澤秀夫解説委員
(中東)・百瀬好道解説委員
(ヨーロッパ)の真っ向対立という、ある意味世界の縮図のような討論でした。
その中で、島田敏男解説委員
(政治・外交)の
「それは主にアメリカの問題だと思うんですよ、アメリカのような乱暴な国はやっぱりそういうやり方するんですよ(笑)。だからこそ日本がそうじゃないやり方をどう模索するか、日本の課題として与野党の人たちに考えてもらいたいですね」「アメリカのことを乱暴な国だと言いましたが、友達の中には、ケンカの強い乱暴な国も必要だというのは事実だと思うんですね。日本はじゃあ別の形でどういう風に頑張るか、と」という発言は、強引なまとめに聞こえても一理ある指摘でした。
田中和夫解説委員
(ロシア)は、国際テロについて、
「個別個別に考えていかなければならない」として、
「チェチェンは反面教師」「強硬姿勢一本槍ではだめですよ」と指摘。これを受けて岡部解説委員も、
「ロシア、中国でも、『テロとの戦争』という言葉が自分の国内の反政府勢力の弾圧の口実になっている部分がある。それがテロを生む原因にもなっている」「アメリカも合衆国愛国者法というような窮屈な法律が実際にはある」と指摘していました。
柳澤解説委員はいつも通り旗幟鮮明で、
「われわれ『テロ』『テロ』という言葉を使っていますが、過去に遡ってみても明確に『テロ』って定義できたことないんですね、国連ですら」など、「反テロキャンペーン」の持つ危険性を次々指摘。見ているこちらが大丈夫かと思うぐらいでした(笑)。
……柳澤さん、その翌日の「世界のドキュメンタリー 検証・イラク人虐待」(英BBC製作)の冒頭でも厳しいコメントしていましたし、頭の悪い人から頭の悪い批判を受けないといいんですけど(苦笑)
「9.11同時多発テロ事件から3年」は、やはり「記念日」として各メディアで報道されました。事件が事件であったため、ことさら感傷的に煽るのが目立つのも、いつも通りでしたが。
ところで、どんな事件も1年365日のどこかで起きるわけで、日付に意味を感じたいというのは、単なる妄想の世界なんでしょうけれど。
だいたい、かの太平洋戦争だけでも、「負けっぱなし」「ここでは勝ったけどあとでボロ負け」記念日で埋まるような気もしますし(苦笑)。
ネタがないので調べてみたら、
9/11生まれは、いきなり現職の
(2代目の)アサド・シリア大統領、つづいて
秋篠宮紀子妃殿下、そして声優の
山本麻里安さんがいらっしゃいますね。
ゲームのほうでは、ここのところウチで推している
「はにはに」の藤枝保奈美さんが。……正直、テロ後に作られたものでその日付狙わなくたってとも思いますが、相性占いとかそういう問題もあるんでしょうか?
ことこの手の偶像
(2次元・3次元問わず)については、誕生日も血液型もなきゃないで済むデータでしょうが
(ただし、いわゆるギャルゲーでは「イベント」や「フラグ」といった実用上の必要もありますが)、実際には日々変動する体型と同程度の価値しかなくても、オプションにはなりうるのかもしれません。
そういえば、確か
『赤ずきんチャチャ』でも、作者がキャラの誕生日なんかどうやって決めてよいやら分からない、と書いてました。
血液型はアニメ版のスタッフが
(CDのネタで占いがあったため)設定してくれたということですが、よくよく考えると狼男の血液型ってどういう扱いになるんだろうとか(笑)。Rh式血液型はアカゲザルによる抗原抗体反応から発見されていますし。……まあ、あの作品に求める問題でもないでしょうけど(笑)。
大量破壊兵器の発見不可能=米国務長官【時事通信 /Yahoo】
【ワシントン13日時事】パウエル米国務長官は13日、上院政府活動委員会の公聴会で、ブッシュ政権がイラク戦争の大義に掲げた大量破壊兵器に関し、「これまでにいかなる備蓄も発見されなかったし、今後も見つかる見込みはないと思う」と言明した。
(時事通信) - 9月14日9時1分更新
【ロイター=ワシントン発・米国東部時間15:27(日本時間04:27)】
Powell: Unlikely WMD Stocks Will Be Found in Iraq
Mon Sep 13, 2004 03:27 PM ET
By Arshad Mohammed
WASHINGTON (Reuters) - Secretary of State Colin Powell, who made the case to the world that pre-war Iraq had stocks of chemical and biological weapons, said on Monday he now thought these will probably never be found.
"I think it's unlikely that we will find any stockpiles," Powell told lawmakers when asked about the intelligence behind his Feb. 5, 2003, U.N. Security Council speech laying out U.S. arguments for the war with Iraq that began six weeks later.
Powell's latest comments appeared to be his most explicit to date suggesting that the central argument for President Bush's decision to invade Iraq -- the belief it possessed weapons of mass destruction -- was flawed.
As early as January Powell said it was an "open question" whether or not such arms would be found and he conceded the possibility Iraq might not have had any when the war began.
Bush himself had often said that even if no such weapons are found he did the right thing in invading Iraq in March 2003 and toppling Iraqi leader Saddam Hussein, arguing that the country has been liberated from brutal dictatorship.
U.S. officials have also said that whether or not it had stockpiles in 2003, Iraq was a threat because it had possessed and used chemical weapons in the past, notably to kill 5,000 Iraqi Kurds in the town of Halabja in 1988.
The war in Iraq, in which more than 1,000 U.S. troops have died, and the violent insurgency that has developed since the U.S. invasion are a major issues in Bush's reelection battle against Democratic nominee Sen. John Kerry of Massachusetts.
Powell made his comments as Charles Duelfer, the CIA-named leader of the hunt for weapons of mass destruction in Iraq, is working on a report about his findings that was expected to be completed in the next few weeks.
Duelfer's predecessor, David Kay, said as he left the post in January that he believed there were no large stockpiles of weapons of mass destruction when Washington went to war.
While he had reservations about the state of Iraq's efforts to obtain nuclear weapons when he spoke before the U.N. Security Council in February 2003, Powell insisted at that time that it had stocks of both biological and chemical weapons.
"There can be no doubt that Saddam Hussein has biological weapons and the capability to rapidly produce more, many more," Powell said then, at one point holding up a vial of simulated biological agent -- an image broadcast around the world.
"Our conservative estimate is that Iraq today has a stockpile of between 100 and 500 tons of chemical weapons agent," he said at the time.
とうとう断言しちゃいましたか(苦笑)。
ここへ来てブッシュ政権で最穏健派のパウエル国務長官が公聴会で言ってしまったのは、「既出、何をいまさら」とは言えない重みがあります。
「バッキンガム宮殿のバルコニーにバットマンに扮した男がよじ登る」というニュース(記事:
Campaign staged on Palace balcony)を英BBCが報道していましたが、折畳式のハシゴを監視カメラの真下に据えてほいほい登ってしまった、ということに警察当局も当惑していると伝えています。
宮殿のバルコニーに登った男は、単なるキャンペーン活動で一番目立つ場所を選んだだけで、テロリストであれば警察も狙撃していたが、そうでないと分かったので説得を選んだと警察は言っているとのことです。
BBCはニュースで、「宮殿を要塞化せずに警備を強化する必要がある」と指摘しています。「開かれた王室」というのも、なかなかキビシイものがありますね。
ところで、この記事が伝えていますが、英大衆紙の「デイリー・ミラー」の記者が宮殿の職を得てしまった、というのは、広い意味でのセキュリティで不安があるのも分かります。
当のBBCも、「空港に侵入してみる」潜入調査レポートを報じましたし、米ABCは鉄道の網棚に爆弾になるかもしれないリュックサックを置きっぱなしにしても誰も見に来ない、という報道を伝えています。
こういった「捕まるかどうかやってみる」というのは、セキュリティについて「論より証拠」ですが、戒厳令みたいなことやりたがる割には日本では歓迎されないようです。
『Yの真実 危うい男たちの進化論』、
村松増美『とっておきの英語』、
ノーム・チョムスキー『メディア・コントロール ―正義なき民主主義と国際社会 』読了。
『メディア・コントロール』は、
さすがチョムスキー先生飛ばす飛ばすといった感じで、ほとんどメッタ切りに近い論調です。ウチなんかでも時折、口調が厳しすぎるという感想いただくんですが、こんな生半可なレベルじゃありません(笑)。
この本では、「火星から来たジャーナリスト」と一章を設けて、「対テロ戦争」を公正に伝えるとすればどうなるだろうか、という論説をしていますが、ある地域・文化に染まっていない「火星人」を思考実験として持ち出しています。
テロを「他人が私たちにたいして行うテロ」と定義すればよいのだ。(中略)
……私たちと私たちの盟友はテロの最たる犠牲者であり、テロは弱者の武器だ、という結論である。
として、辛辣に「便利な」説明を定めた上で、
私たちが他人にもっとひどいことをしても、それはテロではない。これは普遍的な原則である。ただし、たとえ地球で問題になることはありえなくても、火星人ならそれに気づいているかもしれない。
と、ハイチ、ニカラグア、そしてイスラエルの攻撃について取り上げています。
巻末の辺見庸氏との対談の締めくくりは……。
チョムスキー (略) だがもしも憲法を変えるというなら、たしかに由々しいことではあります。しかし、五〇年にわたってアジア地域での戦争に貢献してきたことに比べたら、ささいな問題です。
辺見 おっしゃっている意味はわかりますが、我々にとってはささいではありません。
チョムスキー この五〇年を含む前の世紀には、日本が記憶に留めておくべきことが数多くあります。何度もいうようですが、他人の犯罪に目をつけるのはたやすい。東京にいて「アメリカ人はなんてひどいことをするんだ」といっているのは簡単です。日本の人たちがいましなければならないのは、東京を見ること、鏡を覗いてみることです。そうなるとそれほど安閑としてはいられないのではないですか。
映画「華氏911」の予習復習に推薦される意味がよく分かる部分です。
『月は東に日は西に』(ハーヴェストノヴェルズ)。
これ明らかにアダルト向けですが、ノベライズ=文章のみということで、規制対象になっていないようです。
Amazonさんでも「警告」出ませんし……。
敷居を決めにくいという一面はあるでしょうし、なんでもかんでも規制するのも大問題ですが、年齢によるゾーン分けをしておくのは、とかく後から来やすいバッシングへの自衛のためにも、必要になるのではないかと思います。
同タイトルの作品で、「成年向け」はPCゲーム版だけで、テレビアニメ版やPS2版ゲームは年齢制限ないわけですし、本屋さんが表紙だけ見て同じ棚に並べちゃう危険がありそうで、この窮屈な情勢ではかえって後々ゴタゴタするよりは最初っから決め打ちしておいたほうがよいようにも思います。もちろん著者・編集者・出版社それぞれの考えはあるでしょうが……。
それはともかく、次のくだりにはちょっと驚きました。
……学園の女子の制服はとても複雑な仕様で困難を極めたが、なんとか美琴の協力もあってデコルテ部分まで引き上げることに成功する。
要するにそっち系の描写部分ですが、ウチが普段苦手にしている分野をあえて持ち出すのは表現についてで、「複雑な仕様で困難を極めた……」は、“萌え”シーンで違和感ないのかしら、と(笑)。
多くの読者にとって自然な表現なら、そういう時代なのか、というだけですし、これ元々がPCゲームということで読者層が限られているのかもしれませんが、批判とかそういうことではなくて、
単純にびっくりしました。
個人的には、ワンパターンに陥るよりは、いろいろな描写・文体があったほうがきっと面白いと思います。いくら直接描写がまずいからって、指示代名詞ばかりの文体は飽きるでしょうし……
(これについては山根一眞氏が当時のワープロの「文体チェック」機能を使って遊んだ結果が『第「三・五」の波』にあります)。
こういうとき、「文法」の用語は説明に便利です。これで指示代名詞を分かりやすく、「それ」「あれ」「そこ」と書いてしまうと、いきなり未成年お断りなコンテンツになりそうですから(笑)。
……っていま開いちゃったから意味ないですけど(苦笑)。
もっとも、こういう場合、先行する名詞を指し示しているとは限らなくて、要するに「察してくれ」みたいなところがあります。
そんな文章出されて「具体的には、先行する名詞のどのことを指しているのか、記号で選べ」なんて入試問題イヤです(苦笑)
ただ、指示代名詞を乱用すると文章があいまいになる、ということについては、18歳未満お断りな解説になってしまいますが、そっち系統のテキストが意識的に避けて指示代名詞を多用しているのを見れば分かりやすいんじゃないかと思います。あいまいにしないと怒られるから、という理由ですから(笑)。
そういえば、同じ単語の繰り返しを避けて別の言葉で表す、というのも、こっち系統の特定部分に多いような気がします。さすがに具体的には書けませんが(笑)。
ところで、「デコルテ」って具体的にはどこなんでしょうか?
(こらこら) ……鎖骨下部あたりのイメージかしら?(苦笑)
ちょっと久々に買い物に出たら、えらく大きな活字で水樹奈々さんの名前を見かけて、思わず買ってしまいました。
「月刊アサヒ芸能エンタメ!10月号」。
「普段見ない場所だったので発見が遅れた」なんて言ってしまうと、事件でよくあるコメントになっちゃいますが(苦笑)。
……これ
思いっきり成年指定ですねえ。しかも、4ページの該当記事以外読むとこないんですけど(苦笑)。
記事そのものは、ありがちな「興味半分・偏見半分」ではなくて、案外普通に扱っています。雑誌の表紙は
「密着120分独占インタビュー 声のカリスマ 水樹奈々 サインポラプレゼント」 とありますが、誌面の記事は見出しも落ち着いていて
「水樹奈々 美声アイドルの生素顔」 と、一見するとレイアウト・色使いも同じ雑誌の他の記事よりも、むしろ「こっち」系の雑誌に近いような感じです。
こういうときは署名記事かどうかチェックするのが普通で……。
「文:小林治」……
ああ、あの店長さんか!(笑)
繰り返しになりますが、
男性成年向けの写真ばっかりで他に読むとこないです。というか、この雑誌だと、
掲載誌送って来られても事務所も本人も驚いちゃうんじゃないかと思いますが(苦笑)。
2004/09/10 火星人襲来
戦争の哲学に中庸論をもちこもうとすると、馬鹿をみる。(
『戦争論』のクラウゼヴィッツあたりの挨拶)
ここのところ日本時間8時30分放送の「ABC World NEWS TONIGHT」(ピーター・ジェニングス)を見てから、9時すぎにテレビ東京で株価と外為ちらっと見て寝るという、それだけでもおかしな生活ですが(笑)、今日は夕方起きて一通り「スト回避」の速報を見たら、次に来たのは「ABC NIGHTLINE」(テッド・コペル)でした。
普段、ちょっと何かが気になったときはロイターやBBCのインターネット版があるし、手軽なところではYahooやgooのニュースもありますし……どんどん日本のテレビから縁遠くなっているような気がします(笑)。
そんな中で、忘れないうちにメモ。
9/10(金) 23:45 >> 00:30 特集・あすを読む「同時テロ3年・世界は安全になるのか」
……NHKの番組案内と、GooやYahooのテレビ番組ガイドでは出演者数の制限があるのか、柳澤秀夫・田中和夫両解説委員が入ってませんが。「中東」と「ロシア」が抜けてしまうと、欧米だけの番組に見えてしまいます。
BSニュース「きょうの世界・経済最前線」としっかりぶつかってますね、こっちも時間枠拡大してますし(苦笑)。
9/10(金) 23:00 >> 00:05 きょうの世界・経済最前線
2004/09/09 月よりの使者
2004/09/08 完全生命体
あんたどっちの味方だーっ!!?(
まだ落ち着き先の決まってなかった頃のどろしーちゃんあたりの挨拶)
>春歌(WS)ちゃん(9月5日)
> へたしたら半径7.4km内に生きているのがナベツネだけという可能性も否定できず(一体何処のゾンビ映画だ)
♪デイジー、デイジー…… ……デイジー違いか
(こらこら)
それはともかく。
「水に強いものは火に弱い」と言って、
火攻めで3万をなぶり殺しにしたのは
『三国志演義』の諸葛孔明でした。
これは、かの「不老不死」の理想と現実という視点から見ても非常に重要な指摘で、不死の実現のためにどこかを強化すると、たちどころに違う弱点が出てきたりします。
逆にいえば、生物学で言われるように、ある時点で種
(しゅ)にとって不利な事柄も、環境の変化によって有利に働くことがあります。それだけに、一方向に特化して「カンペキ!」と言いたくなるほど進化すると、次の世代で絶滅してしまうこともあるわけです。
ヒトについてよく例に出されるのは、鎌状赤血球貧血症で、これは普通丸くて平べったい形をしている赤血球が、鎌のような形
(半月状)になってしまうために酸素を運べなくなる遺伝病です。貧血つまりエネルギー不足がずっと続くわけですから、症状も厳しく、余命も長くはありません。
ところが、この遺伝病にはメリットがあって、この貧血を抱えていると、いわば血液の状態が普通と違うために、マラリアが感染する入り口がありません。このため、マラリアが大流行して全滅するような状況になっても、この遺伝病を持った人はマラリアからは逃れられます。
マラリアに対して有効な治療法ができている現代では、メリットに比べてデメリットが大きすぎてありがたみがないですが、おそらく、こういった病気の遺伝子が残ったのは、マラリアに対するヒトの種族保存によると言われます。
平時は他のヒトに比べて不利ですから、遺伝子を持つ個体は短命に終わって、多くの子孫は残せませんが、マラリア大流行という有事の際には、この遺伝子の持ち主だけは生き残る。「目的に合う」という意味で「合目的的」
(ごうもくてき・てき)と言いますが、弱みを持つことで非常事態に備えるというような戦略とも言えるでしょう。
ある瞬間においては、その時点の環境にどれだけ適応できているかで、勝ち組と負け組ははっきりしてしまうわけです。与えられた環境をフルに活用して、100%、120%の性能を打ち出せれば勝ちです。
ところが、この環境というのがたいへん当てにならない代物で、次の瞬間には激変することがある。そうすると、昨日120点を取ってた優等生がまるで使い物にならなくて、ばたばた死んでいくようなこともあるわけです。
そういうときに、前回60点カスカスだった劣等生が、案外新しい条件では生き延びられることもあります。もちろん、前回の時点で40点以下、はるか下のほうで落選してしまうと、次の世代が残っていなくて、勝負に参加さえできないということもありますが、ギリギリでも次の世代が残っていると、環境条件の変化に対して有利なポジションを取れるかもしれないのです。
現時点において、ヒトであっても他の生命体であっても、水やタンパク質をベースにして生命活動をするとなると、それだけで一定の足かせがかかっているようなものです。「ゆで卵」を見れば分かるように、ある一定温度以上では凝固してしまいますし、水が凍結するような低温も困る。タンパク質を変質させてしまうような、酸やアルカリなどの薬品にも、それほど強くはなれないんです。
有害な菌やウイルスをやっつけるというときに、これが一つの攻撃の標的になります。いくら強いと言い張っていても、タンパク質である以上は、存在を破壊してしまえば生存できない。高温であるとか、アルコールや紫外線などを浴びせてしまえば、強い弱いの差はあってもやっつけることができるのは、彼らの活動ではなくて存在基盤そのものを破壊してしまうからです。
ただ、実験資料のような、ガラス容器に入っている敵に対しては、火炎放射浴びせようと放射線浴びせようと、なんでもできるんですが、ヒトの体内にいる敵を倒す場合、つまり治療という場合にはそういう荒業は使えませんから、今度は彼らの生命活動をどうにかして破壊しようとします。たとえばβラクタム系といわれる抗生剤は、細菌が作る細胞壁をぶっ壊すことで細菌を死滅させます。
細菌やウイルスであっても、そういう存在基盤を攻撃されては生存できないわけで、ましてある程度以上に機能が発達した生命体ではもっと制約が増えてくるわけです。
孔明先生の言われるように、とは言っても、あまり火に強い生命体というのは考えにくいんですけれども、ひとつ長所を作ると、往々にしてそこが弱みにもなるんですね。だいたい手持ち資産が限られているわけですから、長所を作るためにはどこかを削っているとも言えるわけです。
一般家庭でも同じですけれど、現在の環境条件において、当面必要のない部分は出費を削って、その分を必要とする方面に回そうと、やりくりをせざるをえない。与えられた条件が変わればこれは維持できないんです。子どもの学費を作戦正面として、他を削って当てていても、その子がフラっと学校辞めてしまうことがある(笑)。そのときは教育につぎ込んで、たとえば家屋の修理を後回しにしていたのがマイナスに出て、台風なんか来たときに危ない目にあうかもしれないわけです。
家計であれば、まあ人間が頭脳によって対処してゆく、その時々に応じて考え直すという方法があります。まさにそこが頭脳のありがたいところで、そういう変化への適応ができずに半世紀以上昔のまま勢いで乗り切ろうとする人は、どうもヒトとしてのメリットを活かしきれてないんじゃないかとも思いますが、それはまた別件ですね(笑)。
これが生物レベル、遺伝子の話になると、考え直す余裕はありません。環境が変化したときに最適の解を選んでいなかったら死滅してもらうしかない。先ほどの例は昨今では若干不穏当ですけれど、台風がきたらそこは終わりだというようなものです。その代わりに、いろいろな解を持っている種は、どう転んでも誰かは生き残ることができます。町でいえば、核シェルター作るような家もあり、教育費に絞っている家あり、あるいは水も買ってきて食事に気を使う家もあるというように、多種多様な方向性を持たせておけば、どれか一軒は生き残れる。しかも、「我が家は代々教育に重点を置く」というように、生き残った家は次の世代にその特徴を渡すことができるわけです。
ところがこれが、長らく太平の世が続いて、一方向しか考えられなくなることがあります。もうずっと災害なんか起きないからというんで、町中の家が全部家屋放っておいて何か一つの方向だけに注ぎ込むようになると、いざ地震が来たときに全滅するおそれがあるんです。環境に適応しすぎた場合に種が滅びやすくなるのは、多様性を失うことで次の変化に対して無防備になるからなんですね。
ヒトの不老不死についても、ついに実現していないのは、どこかの家電製品のようにタイマーがあるという致死遺伝子などといった魅力的な考えもありますが、細胞レベルにおいて限度があるというのも穏和ながら説得力のある説です。皮膚でも髪の毛でも、一定時間が経つと使えなくなるから新しいものが取って代わるようにできていますが、この繰り返しの回数に限界があって、どうやっても回数を重ねるとエラーが増えてきてしまう、たとえばがん化するようなことがあります。そこの新陳代謝を止めてしまうことができない以上、不老不死というのは難しいんじゃないかという話です。
もちろん、ある程度は何とかできるかもしれないということで、ビタミンCがいいとか、紫外線を浴びるのは良くないとか、そういったことはアメリカを中心としてずいぶん長いことやっているわけです。抗老化、アンチ・エイジングですとか、あるいは老化の元凶が活性酸素であるとして抗酸化、アンチ・オキシダントということが言われています。アンチ・エイジングについては、怪しげなものを除いても1世紀近くやっているような感じです。
しかし、細胞が毎日生まれて死んでいくサイクルで動く以上、全体のシステムとしてのヒトも、永久に若いままで死なずにすむという方法はないのではないか、という説は、たいへん説得力があるように思います。
いまのところ、タイマーが発動してここでおしまいというようなものも発見されていませんので、病気などの直接死因を取り除ければもうちょっと長生きできたのでは、という意味で、現在のヒトの死はすべて事故死であるというのも否定はできないんですけれども。
しかし、先進国トップの長寿国の日本で、脳血管障害や心臓疾患を引き離して死因の1位は「がん」ですが、こうすれば予防できるという対策は、心臓疾患や脳血管疾患に比べると決定的なものがありません。他の死因で死ななくなったから、がんが増えているように見えるんだという意見さえあります。
それも一理はあるので、若ければならないというわけではありませんが、基本的にがんというのは年を取ってからの病気です。毎年「敬老の日」が近づきますと、メディアでは高齢者の増加と、長寿者のトピックスを取り上げて、また三大死因というものも言われますが、あれはまさに「増加している高齢者」の死因について言っているわけです。世代別の死因で見ると、これは厚生労働省の人口動態統計
(平成15年概況)でも明らかにされていますが、20代と30代の死因のトップは「自殺」なのです。
10代前半
(10〜14歳)において、すでに「自殺」が第3位に入ってきます。ある意味では当たり前で、その年齢より下ですと、それだけの意思をもっていたかどうか判定しにくいですから、あるいは第1位の「不慮の事故」にすでに含まれている可能性さえある。自殺の定義の問題にもなりますが……。
「自殺」は10代後半ですと第2位に上がってきます。20代前半・後半、30代前半・後半は「自殺」が第1位で、「不慮の事故」と「がん」
(統計では「悪性新生物」と言っています)が2位争いをしているような状況です。実は男性について見ますと、40代前半でも「自殺」がトップですが、女性では30代後半から「がん」が1位に出てきますので、総数で40歳を境に首位が変わるということです。
自殺は、不老不死とは両極端の位置にあるわけですが、不死についての議論で「これさえなければ助かっていた」という、事故死であるという見方を紹介しましたけれど、この世代の自殺を見ると、まったく違うことでありながら同じ思いを、強く感じざるを得ないんです。
「40歳をすぎたら成人病に備えて保険を」などとCMでもやっていますが、確かに40代前半からの「がん」死亡率の増え方はすごいんですが、20代前半の「自殺」(第1位)と、40代前半の「心疾患」(第3位)はほぼ同じ数字です。40代前半の方について、そろそろ成人病の検査をしましょうよ、ということは言うわけですが、そこで予防しようとしているうちの心臓病については、ほとんど同じ数を20代前半の自殺で失っているんです。「自ら」ですから、他の疾患よりも難しい側面もあるのは確かですが、しかしこの数字を放っておいてよいのか、出生数のデータよりも厳しくとらえるべきではないだろうかと思わされるんです。
なお、
8月8日付で、出生率はある時点で輪切りにしたものだから、統計上一時的に数字が上がることもありますよ、という指摘をしましたが、人口動態統計ではこの点ちゃんと注記がありまして、「期間合計特殊出生率とコーホート合計特殊出生率について」と解説がされています。「この1年間」で見た場合と、「1975年生まれ」について見る場合の違いですが、「コーホート」は薬学でも追跡の際に使われる用語ですが、追跡が終わってみないと分からない欠点があります。とくに出生率については、出生がありえない
(もう生めない)年齢まで追跡しないと出てこないという問題があります。そのために期間で見た数字を使っていますが、それが全体的に高年齢化する場合には両者一致しない可能性があるのは、前にお話したとおりです。この点、人口動態統計というデータにまで注記があるのに、メディアがきちんと注意をしないで目立つ数字だけ取り上げるのはどうかと思います。
話を戻しますと、40代以降急速に増える成人病について、塩分は控えましょうとか、コレステロールを減らしましょうとか、検診を受けましょうとか
――これは先日バイパス手術を受けたクリントン前大統領も、ダイエットや運動もいいけれど検診を受けましょうよということを言っていました――何とかしたいということでいろいろ対策を言っているわけですが、まさに少子化の問題では中心となる20代・30代の死因第1位については、皆さん口を閉ざしておられるのは、軽々しく扱えないからといっても、やはり問題だと思います。これが問題の焦点だというつもりはありませんが、やはりこれだけの数を失っているということは事実ですから、それを本人の意思だからと言ってそのままにしておいて良いとは言えないと思います。検診と違って画一的に対策が打ちづらいんですけれども、深刻な問題であるということは、きちんと認識する必要があるのではないでしょうか。
種の保存という点では、次の世代を残さないという究極の選択をしているわけですから、それは決して軽く見てよいとは言えませんが、もう一方で、生物学が指摘する部分、利益も不利益も含めて多様性を認めておいたほうが後々の環境の変化に対応できるということ、これも考え合わせておくべきだと思います。生物学は謙虚に、進化についてしか言いませんが、社会論の側でもこの理論は視野に入れておいて損はないのではないでしょうか。
……なんで講演録というか、テレビでいうと放送大学のような口調になってるんでしょうか(笑)。
この口調のほうが、普段よりもかなり面倒ですね(苦笑)。
疲れるからこれやめます(笑)。
……ところで、なぜこんな話になったかというと、実は、春歌ちゃんのコメント読んだ後で、
昨日のBSで映画『エイリアン』を見たからだったりします(笑)。
ところで。
>春歌(WS)ちゃん(9月7日)
> この記事にワラタ。
> テレビ局の野球中継もストで悲鳴!(日刊スポーツより)
> 記事の内容は主に巨人戦中継絡みで、ドーム球場での試合についての代替番組を用意しておりませぬ〜という局側の狼狽ぶりが中心なのですがw
まあ、NHKは普段から番組が飛ぶことは多いので、どうにでもなりそうな気もしますが(笑)。
地震や戦争があれば否応なしに全部飛ぶし
先日もBSで大リーグ中継が延びて、どこまで押すかと思っていたら、途中「NEWS Watch」を飛ばして、5分番組を入れて帳尻合わせて通常番組に戻したのには感心してしまいました。なぜ押しているのに5分番組を入れるんだろうと思ったんですが、うまいことやるなあと(笑)。
……「漢詩紀行」えんえん2時間(5分×24回)やってもいいんじゃないかなあ(笑)。海外ドラマの再放送ならむしろやって欲しいぐらいですが、いろいろ制約あるでしょうし。
「あすを読む」(10分)と「クローズアップ現代」(30分)のセットだと、3日分で2時間埋まりますが、視聴者がハードなプログラムかもしれません(笑)。
ところで、ドーム球場でも、台風かなんかで選手のデリバリー
(デリバリー言うな(笑))ができなくて中止になったケースありませんでした?
……それと、やっぱり話に入れてもらってない「テレビ東京」(笑)。
そういえば、「9.11テロから3年」で特集が予定されていますが、ちょうどあのとき、片方は全部番組飛ばしていたNHKつけっぱなしで、もう片方で通常編成に戻っていたテレビ東京で初回版「シスタープリンセス」を見ていたのを思い出しました(笑)。
それはさておき。
この「プロ野球合併問題」、ホームズ先生同様関心のない分野ではありますが、一つ気になるのは、「合併強行」対「反対」の対立構造のなかで、両者ともに着地点が見えていないような印象を受けることです。
「ここまで来たら仕方がない」といった投げやりな声も聞こえる合併強行派はまさにそうで、そこまでして強行することにメリットがあるとはとても思えないんですが、実は同じように反対論についても懸念があって、これはちゃんと筋を通して落ち着くところが見えているのかどうか、多少疑問に感じます。
どこかで着地させないといけない、決裂したまま後は知らないというわけにはいかない問題ですよね。その場合に、「反対」とする側がどこに着地するのか、100%の勝利が得られない場合にどこまで攻め取れば「勝ち」と言えるのか、いまの段階では見えにくいように思います。
これは、「日本のいつものパターン」じゃないかという疑いが晴れません。性急に何かをやろうとする人がいて、これに対して反対の声が上がる、しかし結局Goサインで突っ走る、そこで反対していた人もいつの間にか忘れて黙ってしまう、そのパターンを思い描いてしまうのです。
反対すること自体には重要な意義がそれぞれあるんでしょうが、押し切られたときに「潔く」認めてしまうとすれば、また哀しいパターンの繰り返しになるのではないでしょうか。
反対してなお強行された後についても、戦略的に計画して段階的に実行すれば、相手に与えるダメージや心理的圧力も大きくできると思いますが、こういった徹底的な作戦計画は、どうも受けにくいようです(苦笑)。
2004/09/06 ♪夜の名残の午前三時よ〜
2004/09/05 漢魂洋才
私本当に日本人かなあ?(笑)(「親戚が日光にいる」と言うつもりが、
「日光が親戚にある」と言ってしまい、自分の日本語があまりにしどろもどろでとうとう不安になっちゃった金田朋子さんあたりの挨拶)
米公共放送PBS「ジム・レーラー ニュースアワー」で、とうとうフォーティワンのブッシュ元大統領にインタビューしていたのには、さすがに驚きました。
ジム・レーラーは敏腕アンカーマンで、前回大統領選挙のときには
ブッシュ候補(当時):「私の弟であるジェブは偉大なるテキサス州知事なんです」
ジム:「フロリダですよ」(当時テキサス州知事はブッシュ氏本人)
(『ブッシュ妄言録』)
質問「大統領であった父親のG.H.W.ブッシュと、対立候補の民主党・ゴア候補は、経歴という観点からどんなところが異なっていたと思いますか?」
ブッシュ:「僕は、父親とは違う世代の人間なんだ」
(『不思議の国のブッシュ』)
という「妄言」の一つを引き出した人でもあります。
フォーティワンのブッシュ元大統領、「指名受諾演説については忘れてしまいました」とかわしていましたが、そこは公共放送ではあってもアメリカのメディアで、「記録によればこう演説されてますよ」と、礼儀を守りながらもきっちり突っ込んでいました。
それにしても、ここ数日、ラジオが文化放送系A&Gで、テレビといえばロシアでの学校占拠事件について緊急中継が入った英BBC、毎日チェックしている米ABC、米PBS、合間に本読んでいるときはBGMが
「バックハウス/ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ」で……
まるで統一性ないですね(笑)。
……でも、松来未祐さんの落ち着いているときの平坦な声
(あんまりないですが)って、同時通訳の声質に似ているような気がしました。
これまで、両方同時に聞く機会がなかったんですが(笑)。
ラジオで相方されている豊口めぐみさんが、NHKの普通の番組でナレーションされているわけですから、違和感なくても驚く必要ないのかも。
同時通訳つながりではありませんが、ちょうど届いたので、
『同時通訳おもしろ話』と、前から気になっていた
『ニート ―フリーターでもなく失業者でもなく』を一気に読了。
息つく間もなく、今朝
(日曜日朝)は、
「マリみて」のあと
「週刊経済羅針盤」を見ていたら
(……ここも統一性ないですね)、宅配便で、
村松増美 『とっておきの英語 ―第一線同時通訳者の秘蔵話』
ノーム・チョムスキー『メディア・コントロール ―正義なき民主主義と国際社会 』
スティーヴ・ジョーンズ『Yの真実 危うい男たちの進化論』
などが到着しました。
……積み本にならないかと不安です(苦笑)。すでに
『物理講義』が先送りになっているあたり徴候が……(苦笑)。
ついでに、
『ワルキューレの騎行〜ワーグナー:管弦楽名曲集』、
『ベートーヴェン : ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 「皇帝」』も届きましたが、ワーグナーをBGMにしてチョムスキーの手厳しい問題提起読んだら、頭おかしくなるかしら(笑)。
……その前に、オーダーした書籍・CD合計の金額は、ちょっと考え直さないといけないかも(苦笑)。コミックス1冊ぐらい混ぜたところで消費税にもなりません(笑)。
えーと。
「仮処分」が日本語メディアにやたら出まくるおかげで、
「仮処分 解説」なんていう検索ワードでいらっしゃる方も少なくない今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
(ばき)
個々の法的判断についてコメントするのは目的ではありませんが、
仮処分についての決定は、本来の是非とは関係ない、ということは、確認のためにも明記しておく必要がありそうです。
「その家は本来俺のものだから、返せ」というトラブルの場合に、「揉めてる最中だからとりあえず動かすな」というのが仮処分です。
この「
とりあえず」がポイントで、中身の判断に両者の言い分聞いているうちに、片方が知らぬ顔をして動かしてしまうと取り返しがつかない場合に、「とりあえず止める」ものです。
このあたり、かなり細かく書いている記事でも、意図的にか能力不足からか、ゴチャゴチャにしているところがあります。「仮処分」が認められなかったからといっても、中身についてはまったく白紙の状態です。
逆に「仮処分が認められた」場合も同じですが、この場合は「まがりなりにもストップさせるだけの必要があると裁判所が判断した」わけですから、多少ニュアンスが違ってきます。しかし、それでも「仮」は「仮」であって、本番の民事訴訟
(区別のために「本案訴訟」と言っています)で敗訴すれば、ひっくり返されて無効になります。
「判決」と違い、場合によっては相手の言い分さえ聞かずに出してしまうのは、「相手に知られたらそこで何するか分からん」場合もあるからです。たとえば、「建物を返せ、それまで他人に売るな」という場合に、「ところでそちらの言い分はどうですか?」などと悠長な質問をしたら、「バレたからすぐ売って逃げろ」ということになりかねません。
それではあまりに片方の言い分だけで判断することになるため、両者の言い分を聞くこともありますし、そこの使い分けは民事保全法・同規則などにありますが、ざっくりとした説明をしてしまうと、
「とりあえず、細かいことは抜きにして今必要かどうかだけ決める」のが本来の趣旨です。
ですから、「仮処分を認めない」決定が出ても、それは中身について「行っちゃえ」と裁判所が判断したとまでは言えません。「とりあえず今止める必要はなさそうだ」というレベルに留まります。
また、基本線が「片方の言い分だけで決めてしまう」わけですから、両者の言い分のぶつけ合い
(弁論)を通じて白黒つける本来の民事訴訟と違って、その「片方の言い分」についてシビアに見ることになります。
というのは、お互いに言い合いして「いや確かにカネ貸した」「お前からは借りてない」と主張をぶつけ合えば、「この借用証が証拠だ」「ウソだ、その日付のとき私は日本国内にいなかった、このパスポートを見ろ」というように、証拠や証人が出てきて、「どちらが説得力があったか」見比べて判決が出せます。しかし、「いちおう相手の言い分も聞くけど、基本的には片方の言い分だけ」では、このぶつけ合いができない分、裁判所としては「本当に?」「本当だとしても、今すぐ止めないと間に合わない?」といったチェックをしなければならないためです。
ハード・ネゴシエーションでは、とりあえず証拠かき集めるのは基本ですが、本訴を起こさずに仮処分(や仮差押)を申し立てて、通ったら相手が泣き出すまで放置というのもあります。もちろん、法はちゃんとそのあたりも見ていて、「仮処分下げないなら、いっそ本案訴訟起こしてシロクロつけるか、どちらかにしなさい」と要求できることにもなっています
(起訴命令)。そうしないと、仮処分で止めるだけ止めておいて、いつまでたっても本案訴訟をやらないという
生殺しができますから。
もう一点、民事裁判について、日本人の感覚から誤解が多いのは、民事訴訟は
(刑事と違って)「ケンカの軍配をどっちに上げるか」が本来の目的だという点です。
刑事裁判で、「どうやら、懲役10年を求刑している検察官の主張のほうが、無罪を主張する被告人と比べて7対3で説得力があるから、求刑10年のところを
割り引いて7年にします」なんて判決が出たんでは、
たまったものではありません。
「疑わしきは被告人の利益に」「一人の冤罪者あらんよりは十人の逃罪者あらしめよ」というのは、人権の問題はもちろんですが、往々にして被告人側が戦力で劣る点も含まれています。
これに比べて、民事訴訟では、ざっくり言ってしまえば「どっちになろうと知ったことではない」のです。双方の言い合いが、言い合っているうちに解決すればそれに越したことはありません。ただ、そこで決着は腕力で、などとなるとえらいことなので、公平な裁判によって解決しましょうという道具を用意してあるだけです。
ですから、民事訴訟では、「こっちが正しいと無理にでも説得する、そのために証拠を揃える」のが基本スタイルになります。
確かに裁判所・裁判官に対しての批判として、裁判官が現実を知らないから素っ頓狂な判断を下す、という批判はありますし、実務でも指摘されてはいます。ですが、裁判官の能力向上あるいは現状の苛酷な勤務の問題は別として、「この方面の知識がないならこっちの主張で教え込む」ぐらいの姿勢も、当事者には要求されます。そのために鑑定人などの制度もあるわけですから
(ただし、実際に活用されない問題については、「裁判員制度導入などお話にもならない」現状の大問題でもあります)。
問題の球団合併では、東京地裁に出されていた選手会の申立による仮処分と、大阪地裁に出されていた近鉄の株主による仮処分があり、前者については契約関係がはっきりしないのでよく分かりませんが、株主の申立については、「回復できないほどの損害を生じさせるとの株主側主張は証明十分でない」と報道されています。
大雑把に言えば、これは「株主は最終的にはカネの問題なんだから、いま裁判所の力で止めなくても、後で株主総会などで止めても間に合うでしょう」という判断だと見られます。「証明十分でない」といっているのは、まさに先ほどの話で、そこまでしなければならないと納得させられるだけの説得ができなかった、ということです。
なお、ここで注を入れておきますと、報道の「証明十分でない」が、どの程度ナマの「決定」文なのか
(記者の言い換え・解説が入っているか)は分かりません。正確には、仮処分では「絶対間違いなし」の「証明」まで行かなくても、「まあ間違いないと見てよさそうだ」程度まで説得できればいいとされ、これを「疎明」
(そめい)と言っています。
>春歌(WS)ちゃん(9月5日)
>あるいはナベツネが潜んでいる場所にデイジーカッターが誤爆してしまえば万々歳ですけど
「デイジーカッター」は、燃料気化爆弾
(&その同類)ですから、周辺の影響がとんでもないことになりますよ?(苦笑)
被害半径4マイル(これはノーティカル・マイル、海里。4海里=約7.4km)と言いますから、あれは沙漠の実験場でならともかく、この狭苦しい島国で使われたんではたまりません。
正直、実戦でも大問題……。
……貫通力があって地下まで潜る「
バンカーバスター」とごっちゃになってません?(笑)
この問題は、こういったところです(
That's the way it was. )。(ウォルター・クロンカイトあたりの挨拶
(笑))